鹿児島ゆかりの作家・椋鳩十さんが書いた物語「大造じいさんとガン」です。小学校の教科書に載っていたのを思い出す方もいるのではないでしょうか…。
敵・味方の関係をこえた狩人と水鳥の雁の姿を通じて、「生きることの美しさ」を描いた作品で、太平洋戦争の直前に発表されました。動物の姿を通して、命の尊さを語りかける椋鳩十さんの作品。その背景には、戦争でのつらい体験がありました。
(椋鳩十さん・当時1971年)「子どもの中にあったかいもの、ほのぼのとしたものを感じさせる作品を書きたい。ただ優しいだけでなく、何か人間に対する深い悼みの心を持っているものを」
作家・椋鳩十さん。1905(明治38)年長野県で生まれ、法政大学を卒業後、教員として鹿児島へ。1947年から鹿児島県立図書館の館長を19年務め、1987年に82歳で亡くなりました。
「椋鳩十」の名で執筆活動を始めたのは、姶良市にあった加治木高等女学校=現在の加治木高校の教壇に立っていた1933年。
山の中で自由に生きる人たちの暮らしを描いた小説でデビューしますが、世の中が戦争に向かっていく中、「描写が好ましくない」と指摘を受け、表現の自由を奪われてしまいます。
椋さんの孫、久保田里花さんです。
(椋鳩十さんの孫 久保田里花さん)「子ども向けの作家としてデビューしたわけではない、これから活躍というときに弾圧・発禁処分を受ける。ほとんどの本が×××、読んでも中身がわからない」
自由に物語が書けない一方で、戦争で失われていく命。何とかして「生きる美しさ」を表現したいと見出したのが、「動物」の作品でした。
(椋鳩十さん・当時1983年)「死を賛美しないと戦はできないとなると、戦地に向かう若者は『死に向かって歩いていく』ということ」「動物の親子の愛はすごい。親は死を賭(と)してでもかかってくる。人間もやっぱりこれと同じ」
椋鳩十さんが戦時中過ごした姶良市加治木町に、文学記念館があります。直筆の原稿や取材ノートの展示コーナーなどがあり、生誕120周年を記念した企画展「椋鳩十と戦争」が現在、開かれています。
ここで紹介されているのは、実話に基づいた、代表作「マヤの一生」です。マヤは、椋さん家族が自宅で飼っていた犬でした。
戦時中、食糧難が深刻となって飼い犬を殺すことを求められ、マヤも犠牲になりました。戦争のおろかさをマヤの生涯を通して描いた物語ですが、発表されたのは、終戦から25年経ってからでした。
(椋鳩十さんの孫 久保田里花さん)「マヤとの愛情、いい人だった町の人たちの考えが(戦争で)変わってしまうことを中心に書いている。『考えをひとつにされていくこと』への怖さを訴えたかったのでは」
(訪れた人)
「ここの地で起きた実際のことだと思うと、心に響くものがある」
「日本は二度と(当時に)戻ってほしくないと思う。(マヤの一生は)それを伝えるのに必要な本」
(記者)「鹿児島市に住居を移した後の椋鳩十さんの書斎を再現したものです。マヤの一生が書かれた部屋でもあります」
県立図書館の館長になってから暮らした鹿児島市長田町の自宅は今も残っています。記念館で再現されていた書斎は、自宅の2階にありました。
椋さんが亡くなったのは、里花さんが高校1年生のとき。直前まで、作品を読んでくれる子どもたちに思いを寄せていました。
(椋鳩十さんの孫 久保田里花さん)「亡くなるときまで『子どもたちに手紙を今書かないといけない、今出せば2学期に間に合う』。子どもを大切にしていた」
里花さんは、椋鳩十作品をより多くの子どもたちに知ってもらおうと、小学校などで講演しています。
(椋鳩十さんの孫 久保田里花さん)「一生懸命生きる動物たちにたくして、祖父が命の美しさや親子の愛情を作品に書いている。命がどんなに大切かを感じてもらえたら」
椋鳩十さんが描いてきた「生きることの美しさ」。今も作品の中で生き続けています。














