「あと何分か遅れたら、火の手が回ってこの世にいなかった」

―あの日、本町の自宅で空襲警報を聞いた金澤さん。当初は、自宅についた火を父親が一人で消そうとしていて、金澤さんたち子供は裏庭にあった「防空壕」に入り空襲が終わるのをじっと待っていたといいます。

金澤時信さん(91)
「家中に焼夷弾が落ちて燃え始めたのを見て、(父親が)これではダメだと判断したのだと思います。防空壕にいた子供たちに声をかけて『すぐに出ろ』と。(脱出が)あと何分か遅れたら、火の手が回ってこの世にいなかった」

防空壕を出た金澤さんの頭上には、焼夷弾が降り注ぎました。焼き尽くされる中心街…。火に行く手を阻まれた金澤さんは、近くの軍の施設へ身を寄せ、一夜を明かしました。そして、片づけをするために自宅へ戻り目にしたのが大量の焼夷弾でした…。