熊本市に住む会社員の山本真由美さん(62)は今年3月、95歳の父、茂樹さんを看取った。介護が必要になった父の部屋を片付けていた時に、父が自分の戦争体験を地元の新聞に投稿していたことを知った。家族5人が黒焦げの焼死。初めて知る父の体験は壮絶なものだった。戦争の体験をほとんど語らなかった父は、なぜたった一度だけ、新聞に投稿したのか。

箪笥の上の棚にあったファイル 新聞の切り抜き

山本茂樹さん(70代のころ)と妻・直子さん

1年前の2023年冬、当時94歳だった父の茂樹さんが、急に歩けなくなった。

真由美さんが父の新聞投稿を見つけたのは、本格的な自宅介護がスタートすることを覚悟して、大掛かりな部屋の掃除と片付けを2日がかりで行っていた時だった。

山本真由美さん(62)
「1人で歩くことがおぼつかなくなった父が暮らしやすいように家具を動かしたり、引き出しの中の書類も整理しました。ふと箪笥の上の棚にあるファイルをめくると、地元新聞の切り抜きが貼ってあるのを見つけたんです。そこで初めて、父が戦争の体験談を新聞に投稿し、掲載されていたことを知りました」

黒焦げの遺体 新聞に掲載された父の投稿

山本茂樹さんの投稿が地元紙に掲載されたのは、1991年2月19日。

前年の8月にイラクがクウェートに侵攻したのをきっかけにアメリカ主導の多国籍軍とイラクとの間で湾岸戦争が勃発、イラクへの空爆で市民の犠牲も増える中、日本は多国籍軍に資金協力を重ねていた。

当時62歳だった茂樹さんが書いた投稿。そこには、真由美さんが聞いたことのない壮絶な体験が綴られていた。

被爆で焼死した家族を思う 山本茂樹(62)無職

”防空壕にミサイル直撃”黒く焦げた女性と子供ばかり・・・の記事を読んで、四十数年前の悲惨な出来事が思い出され、新たな悲しみと憤りを感じた。

終戦四日前の昭和二十年八月十一日、久留米の市街地が米国の空爆で破壊、焼失した。そして多くの人が死傷した。

当時、父は会社、小生は県外で留守。残った母と幼い弟、妹たちは少し離れた防空壕に避難した。しかし爆撃で防空壕の出入り口がふさがれ、壕から出られずに焼死した。

焼け跡を父と二人で家族の行方を探したが、十日目に近所の人の知らせでその防空壕がわかり、二歳になる弟をおんぶし、折り重なった姿の母と妹ら五人の無残な黒焦げの遺体が見つかった。その時の気持ちは生涯忘れられない。

”一億玉砕”と、一人の独裁者と一部の軍部におどらされ、無謀な戦争を続け敗戦となったが、一番被害を受け犠牲を被ったのは弱い一般国民であった。

双方とも言い分はあるにしても、戦争は国、人を滅ぼし、文化、環境を破壊する暴力であることは否定できない。

平和国の日本として、九十億ドルの追加支援で苦労するよりも、戦争終結、和平への働きかけに力を傾注すべきではなかろうか。(熊本市)