亡くなった人のほとんどは「身元不詳」

幸町工場で被爆し、大けがを負いながらも生き延びた八木改造さんは、警察と一緒に「遺体の検案」に携わったと証言していました。

●幸町工場で被爆・八木改造さん(被爆時21歳)※2001年取材
「(死体検案書)本当何百枚書いたことでしょうかね。そしてやっぱり身元が分からない人が大半でしたね。氏名不詳、住所不詳、死亡年月日昭和20年8月9日11時5分と。時間は5分という風に指定されてあったんですよ、よくまだ時間が分からなかったから。本当にこの人も家族があったと思うと…」