大館市は中国人労働者が逃亡した6月30日に毎年、慰霊式を行っています。


今年も多くの市民が参加し犠牲となった中国人労働者を追悼しました。

(大館市 福原淳嗣市長)
「二度とこのような過ちを繰り返してはならないとあらためて心に強く誓うものであります」

終戦から5年後の1950年に最初の慰霊式を行ったのは、大館市と合併する前の旧花岡町で町長を務めていた山本常松さんでした。
花岡事件の伝承活動を行う川田繁幸さんは、日中両国の関係回復を願った山本さんについて次のように話します。

(花岡平和記念館 川田繁幸理事長)
「ここで亡くなった人たちを慰霊しないといけないという信念が強くて当初は自費でやったこともあるらしいんです。慰霊式をやってた」

1950年に最初の慰霊式が行われたのが市内にある信正寺です。

(信正寺 蔦谷達徳住職)
「昼になればこの銀杏の木の下で休憩してそこで食事をとると」

住職の蔦谷達徳さんは、中国人労働者たちが、寺の近くを流れる花岡川で土木作業に従事し、昼になると寺の境内で休んでいたと先代の住職の父親から聞かされてきました。

蔦谷さんは、戦争や事件の記憶が薄れていく事を危惧しています。

(蔦谷達徳住職)
「過去のこと、または別世界の話というふうに考えている面があるんじゃないかな。これは花岡だけじゃなくて、ほかの立場の違う地方の方でもそういう感じになっているんじゃないか。そのへんは戦後80年の大きな壁になるんじゃないかと危惧している」