2度の悪夢に「これ以上は頑張り切れない」

古賀選手はデビューから存在感を示し、活躍を続けます。
しかし2016年のリオ五輪では最終メンバーから落選。20歳での挫折でした。
当時のキャプテン木村さんは古賀選手の落選を「本当に悔しかった」と振り返ります。
古賀選手自身も、その時のことを克明に覚えていました。

女子バレー日本代表 古賀紗理那選手:
「沙織さんも号泣していて私も泣いちゃって、『頑張るんだよ、これでへこたれちゃダメだからね』って言ってくれたのが、一番覚えている」

リオの翌年、2017年に木村さんが引退。
古賀選手は次の東京五輪に全てをかけ、苦手なウエイトトレーニングにも励み新世代のエースに成長してきました。

そして満を持して迎えた2021年の東京五輪。25歳で、ついに夢の舞台へ!
しかし…。再びの悪夢が古賀選手に襲い掛かりました。
初戦で、不運にも相手選手の足を踏んでしまい負傷退場ー。
メダルへの夢が、また絶たれてしまったのです。

バレーボール記者 田中夕子さん:
「東京五輪の後、辞めるって言っていましたから。五輪後に取材した時に、『これ以上頑張り切れないから、戦う資格がないんじゃないか』ぐらいに考えていた時期があった」

再びパリを目指した「2つの理由」

二度の悪夢から、なぜ再びパリを目指す決意をしたのか…。
古賀選手は田中さんにだけ胸の内を明かしていました。

バレーボール記者 田中夕子さん:
「もしもパリ五輪に女子バレーが行けなかった時、自分が日本代表として声をかけてもらっていたのに辞退していたら、それが一番後悔すると思うと」

さらに、大きかったのは日本代表のキャプテンを任されたことだといいます。
眞鍋政義監督は「キャプテンは、悔しさ喜び色んなことを自分で経験しないとダメだと思ったので、だから古賀しかなかった」

キャプテンとして再び戦うことを決めた古賀選手は、背番号を慣れ親しんだ「2番」 から 「3番」に変更。同じくエースでキャプテンだった木村沙織さんの背番号でした。

しかし、期待を一身に背負う「エース」と「キャプテン」の兼任の重圧はとてつもなく、木村さんも当時、スパイクの練習をしたくても若手選手を育てることを優先せざるを得ず苦しんでいたといいます。

元日本代表 木村沙織さん:
「古賀選手もやっぱりチームの全員のことが気になっていて、私が練習の手伝いに行くと必ず来て、『今チームがこういう状況だけど、どうサポートしたらいいか、どう声をかけたらいいか』と聞いてくる」

木村さんは、自分ができなかったことを例に挙げたりしながら、できる限りのアドバイスをしているといいます。