隣の部屋から女性が身を乗り出し・・・
落ち着け、落ち着け、と自分に言い聞かせながら改めて耳を澄ませると、窓を叩く音と同時に、よく聞き取れないがタイ語のような叫び声もする。
恐る恐るカーテンをめくり外の様子を伺った。
隣の部屋のベランダから、60歳くらいと思われる女性が仕切りの格子から身をこちら側まで乗り出し、箒の柄の部分で窓を叩きながら何か叫んでいる。
強盗ではなさそうなので、窓を開けて「なんですか?」と尋ねたのだが、北部の訛りなのか、少数民族系の移民なのか、私が知っているタイ語とは異なる言語を話しているようで理解できない。
しかし身振り手振りで下の方を指差すのでベランダに出て見下ろすと、家の前に停めている私の車のライトが点いたままになっていた。
この女性は「車のライトを消し忘れてるよ」と教えてくれていたのだ。
一晩中放置していたら、バッテリーが上がってしまっていたかもしれない。

慌てて下に降りてライトを消し、同じように外に出てきていた女性にお礼を言った。
女性はにっこり笑って、何度も頷きながら何か言葉を発していたが、やはり聞き取ることはできなかった。
このことがあってから、両隣の家族が向ける私へ視線は、幾分警戒が和らいだような気がする。
おっちょこちょいな日本人だ、くらいに思ってくれたのかもしれない。
いきなり窓を叩かれた時はかなり恐怖を覚えたが、私にとってありがたい出来事だった。
(エピソード5に続く)
*本エピソードは第4話です。
ほかのエピソードは以下のリンクからご覧頂けます。
#1 川を挟んだ目の前はミャンマー~軍の横暴を”許さない”戦い続ける人々の記録
#2 野良犬を拾って育てる避難民
#3 農園の候補地を下見 タイ人の地主に不審者と間違われる
#4 治安の悪化のニュース そして深夜に窓を叩く音 恐る恐る外を覗くと・・・
#5 オクラを作ろう!ようやく動き出した事業
#6 アインの妻が妊娠 生まれてくる子供の未来は
#7 オクラの栽培がスタート しかし”目の前が真っ暗”に…支援とビジネスを両立する難しさ
#8 協力企業の撤退で振出しに戻った事業~日本にいる間に考えたこと
#9 違和感ぬぐえぬ、福岡市動物園ゾウの受け入れ
#10 農園での結婚式~困難の中にあってもそれぞれの人生を生き抜く人々
連載:「国境通信」川のむこうはミャンマー~軍と戦い続ける人々の記録
2021年2月1日、ミャンマー国軍はクーデターを実行し民主派の政権幹部を軒並み拘束した。軍は、抗議デモを行った国民に容赦なく銃口を向けた。都市部の民主派勢力は武力で制圧され、主戦場を少数民族の支配地域である辺境地帯へと移していった。そんな民主派勢力の中には、国境を越えて隣国のタイに逃れ、抵抗活動を続けている人々も多い。同じく国軍と対立する少数民族武装勢力とも連携して国際社会に情報発信し、理解と協力を呼びかけている。クーデターから3年以上が経過した現在も、彼らは国軍の支配を終わらせるための戦いを続けている。タイ北西部のミャンマー国境地帯で支援を続ける元放送局の記者が、戦う避難民の日常を「国境通信」として記録する。

筆者:大平弘毅