2024年3月にこれまで勤めていた放送局を退職した私は、タイ北西部のミャンマー国境地帯に拠点を置き、軍政を倒して民主的なミャンマーの実現をめざす民衆とともに、農業による支援活動をスタートさせた。
それなりに飲食店やバーもある規模の街だが、アパートを借りて寝泊まりしているのは、夜になると犬の鳴き声もするような静かなエリア。
暮らし始めてまもなくのころ、ひやっとするような出来事があった。
地元メディアの報道 「銃弾がタイ側に飛んできた」

私が拠点をこの国境地帯に移した2024年4月は、少数民族武装勢力側が攻勢に出て、国境地帯のミャンマー側の主要都市・ミャワディを一時奪還した、というニュースが衝撃を持って伝えられている時だった。
軍が報復の空爆を激化させ、タイ側に逃れる避難民が増加する。これまでも何度も繰り返された構図ではあったが、ミャワディは貿易やカジノ利権があり、軍にとっても重要拠点だ。
このエリアの支配をめぐる戦闘、混乱は簡単には収束しないだろうと思われた。
タイの地元メディアもこの問題を注視していて、タイ側まで銃撃戦の音が聞こえて来たとか、銃弾が川を越えてタイ側に飛んできたとか、不安を煽るような記事を配信していた。
私自身は、多少警戒心は持ちつつも、報道記者時代の経験から、現地に入ってみたら地元の人はいつもと変わらない平穏な日々を送っているのだろう、と甘く見積もっていた。
実際に訪れてみて、街の表情は私が知っているそれと比べて特に大きな変化はないように感じた。
3階建ての”長屋”で生活 タイ独特の住宅事情
私が寝泊まりしているのは、幹線道路から少し入ったところにある3階建ての団地のような建物だ。
団地といっても、日本のそれとはかなり違う。
タイではよくある形態なのだが、3階建ての長屋のようなつくりになっている。一部屋ずつ借りるのではなく、1階から3階まで一軒家のように借り上げる賃貸契約になっている。
両隣には小さな子供からお年寄りもいる大家族が住んでいて、この大家族もまた1階から3階まで借りている。
日本人が珍しいのか、私が車で出入りする際など、じーっと私の所作を観察しているような視線を向けてきた。
「日本人がこんなところに住んで何をしているんだろう」と不思議なのだろう。
私自身もそう思うので、できるだけ不信感を抱かせないように、顔を合わせたらにっこり笑って挨拶するように心がけていた。