ピアノを弾くための神経温存を切望「弾けなくなったら、どうやって生きていくんですか」
高橋さんは、医師に「ピアノが弾けなくなったらどうやって生きていくんですか?」と訴え、ピアノを弾くための神経を温存し、全摘ではなく部分切除することを望みました。
蓮井さんは「高橋さんは、根性のかたまり。音楽療法士として自閉症の子どもたちの音楽を通じた療育にも取り組んでいたので、そうした全てをあきらめたくないのだろう」と感じていました。

高橋さんの手術の後、順調に回復したことから、再び活動を再開した「シャンソン20区」は、2023年7月、「岡山パリ祭」のオーディションに挑戦しました。
「岡山パリ祭」は、34年続いてきたシャンソンの祭典です。
フランス建国記念日にあわせ、国内の第一線で活躍するシャンソン歌手によるコンサートが開かれてきましたが、昨年から、出演権をかけたオーディションが始まりました。
蓮井さんが選んだ曲は、エディット・ピアフの「パダン・パダン」。
「パダン・パダン」というのは、入退院を繰り返していたピアフが病室にいるとき、聞こえてきた足音、あるいは、心臓の音ではないかと蓮井さんは受け止めています。
この曲を歌った頃のピアフは、それまでに経験した人生の辛さ、漠然とした不安に、精神的に追い詰められるように感じていたに違いない。けれど、その運命から逃げない強さが、人生を重ねた今なら表現できるのではないかと、蓮井さんはこの曲に決めたといいます。
オーディションは、歌手だけが参加するケースが多いのですが、蓮井さんは、この曲を表現するためには「シャンソン20区」であるべきだと、2人で参加することに決めました。
高橋さんは、オーディション出場を決めたとき、「やるからには優勝だからね」と、蓮井さんに伝えていました。
それは、病を経験した高橋さんが、残された時間を輝かせたいという決意のようなものだったのではないかと、蓮井さんは感じていました。
昨年のオーディションの映像が、YouTubeの「岡山パリ祭」公式チャンネルで公開されています。
高橋さんの芯の強いピアノにのせて、蓮井さんの力強い歌声は審査員を魅了し、演奏が終わると大きな拍手に包まれました。
結果は、38組中、堂々の1位。
名前が呼ばれたとき、高橋さんは弾けるような笑顔で、飛び跳ねていました。
蓮井さんは「高橋さんの命を懸けた演奏があったからこそ優勝できた」と振り返ります。
しかし、その喜びから2か月ほど経ったある日、思いもよらない事態になりました。