自宅に4体の地蔵を建立

自分が手をかけた4人のアメリカ兵のために、自宅に4体の地蔵を建立した堅太郎さん。

1983年、68歳で亡くなりました。
亡くなった後、地蔵は油山観音に納められました。
「辛くとも生きなさい」住職の言葉
今年2月、東京にあるお寺を訪ねた克也さん。

このお寺の住職だった田嶋隆純さんは、戦犯たちが収容されたスガモプリズンの教誨師(きょうかいし)でした。

隆純さんの長女 田嶋澄子さん(84)「まあお父さんとそっくりね。」
冬至克也さん「兄弟の中で私が一番似てるって周りから言われます」
教誨師として仏の道を説くよりも戦犯たちの助命運動に奔走した田嶋さんへ戦犯たちが贈った文集がありました。
「冬至さんの苦闘記みてください」
「まさしく父の字だなあと」

堅太郎さんが書いた「苦闘記」には、米軍に囚われる前に自決を考えていたところ、油山の住職に止められたとありました。

「苦闘記」より
「敵とか味方とか、一家の名誉とかそんなものにとらわれなさるな。生きなさい。短いが仏に頂いた大切な命です。辛くとも生きなさい」