甲府空襲が始まったのです。


就寝中だった角田さんは飛び起きて身支度を整え、防空壕へ入ろうと家を出ますが…

甲府空襲を体験 角田幸子さん:
(当時の自宅付近 甲府市寿町にて)この道は火の海で通れなかった。


甲府空襲を体験 角田幸子さん:
空なんかすごいものですね音が、B29の音がね。焼夷弾が落ちるバラバラって、もう目の前に落ちてくるんですね。


母と手をつなぎ必死で逃げたという角田さん。その時の恐怖を短歌で振り返ります。

「焼夷弾 火の雨となり道なくて 震えて逃げる8歳の記憶」


甲府空襲を体験 角田幸子さん:
雨だ雨だっていっても雨じゃなかったんですね。何かガソリンとかそういうのを先に撒いて、そして(爆弾を)落とした。途中で直撃を受けて燃えている人もいるしね。すごいものだったですよ。

爆撃による火災は中心市街地から特に東南部にかけて激しく広がりました。
寿町に住んでいた角田さんは荒川橋を渡って、西を目指したといいます。



甲府空襲を体験 角田幸子さん:
みんなこの辺をめがけて来たってことですね。相当の人だったと思うね。裏通りを逃げて土手を這い上って荒川橋へ出られた。…怖かったよね。

そして、現在の下飯田付近の田んぼに逃げ込みました。

山梨平和ミュージアム提供の地図をもとに作成


甲府空襲を体験 角田幸子さん:
みんな重なり合ってね。飛行機が来れば伏せたりしながら。頭の上を(B29が)ぶんぶん舞う。身をかがめてみんなでいた。

家族は全員無事でしたが、翌朝、目にしたのは変わり果てた甲府の街の姿でした。

甲府空襲を体験 角田幸子さん:
何もありません全部、焼けて。岡島と松林軒って昔あったんですけど、その二つだけが向こうに見えたくらいで本当に何もなかったです。

寿町の自宅に戻る間にも大勢の空襲で負傷した人や命を落とした人の姿を目にしたといいます。

甲府空襲を体験 角田幸子さん:
道端にいっぱい伏せて寝てたりしましたね…。

市街地の74%が焼き尽くされ、死者は1127人でした。

角田さん一家は全員無事でしたが自宅は全焼しました。


甲府空襲を体験 角田幸子さん:
戦争って、こんなにね、ひどいのかな なんてなんて思いましたね。



一方で、甲府空襲に対する大本営の発表は…「我々の損害軽微なり」