8月15日、戦後77年の「終戦の日」を迎えます。スゴろくでは「NOWARプロジェクト」と題して未来に戦争の教訓をつないでいく特集をお伝えします。
今回は当時8歳で「七夕空襲」とも呼ばれる甲府空襲を体験した笛吹市の女性の証言です。

甲府空襲を8歳で体験 角田幸子さん:
これが長女、次女、三女、おんぶされているのが私。

大きな七夕の笹飾りにそれを見上げる四姉妹と母親のほほえましい姿。

甲府市生まれで現在、笛吹市に暮らす角田幸子さんと(旧姓=原田)三人の姉が子どもの頃の思い出を元に描いた貼り絵です。
甲府空襲を8歳で体験 角田幸子さん:
のどかな時代だった。
昭和の初めには、どこでも見られたという夕涼みの一コマ。しかし…
少女たちの日常に軍靴の音が忍び寄ります。
当時のラジオ放送:「臨時ニュース申し上げます。」
昭和16年12月、日本軍による真珠湾攻撃で太平洋戦争が開戦。角田さん一家の暮らしも戦争の影が色濃くなっていきました。

甲府空襲を体験 角田幸子さん:
「勝つまでは何でも我慢しよう」っていう教訓でしたね。

小学校2年生になっていた角田さんの学校生活も戦時色に染まっていきます。
甲府空襲を体験 角田幸子さん:
学校へ行けば空襲になると防空頭巾をかぶって勉強しないで帰った

それでも当時は疑問を感じなかったといいます。
甲府空襲を体験 角田幸子さん:
当たり前のように思っていた。小さいからそういうものだと。「お国のため」って思ったかもしれませんけどね。

幼い角田さんにとって戦争はすでに日常に。華やかな笹飾りも見ることのなくなった七夕前日の、昭和20年7月6日の深夜。
空襲警報が鳴り響きました。