吉本興業に35年勤務し、退職後は「謝罪マスター」として、各地で講演を続けている、竹中功さんが6月3日から4日間にわたって、RKBラジオ『田畑竜介 Grooooow Up』に出演。初回3日の放送では、吉本興業の広報として関わった記者会見で得た経験について語った。
入社1年目でNSC創設に携わり「あの2人」を面接
田畑竜介アナウンサー(以下、田畑):竹中さんのこれまでの経験から、いろいろなお話を伺っていきたいと思いますが、およそ35年間どんな仕事をしてきたんですか。
竹中功さん(以下、竹中):入社して最初の3か月は京都花月という新京極にある劇場で下働きですよね。翌日のタレントさんの出番の順番を組んでいました。その当時、広報室、宣伝と広報の新しい部署ができて、取材してもらって新聞や雑誌に載ったり、テレビやラジオの番組にチャンスをもらってタレントを出したり。「イベントの宣伝してこい」みたいなね。「お金をかけずにPRをする」というこの部署に行きました。それが広報の始まりで、さらに入社半年目には新たに「タレントの養成所を作れ」って言われてね。大学卒業してまだ半年ですよ。いまでもNSCという養成所がありますが、あれは僕が入社1年目のときに作ったんですよ。
田畑:その立ち上げに関わっていたんですね。
竹中:そう。だから1981年に入社した僕が、翌年2月には面接試験を行う立場ですよ。そのとき僕の前に座ったのが浜田(雅功)さんという人でね。「友達と2人で受けているんですよ、この学校(NSC)」と言うから、面接するのに2人まとめた方が楽じゃないですか。だから「友達も呼んできたらええやん」って言ったら、横に松本(人志)さんがおったんですね。
田畑:1期生ですもんね。
竹中:どんな人を採っていいかも分からなかったんで、先輩に「どんな人を合格にしたらいんですか?」って聞いたら、どのお笑いが好きやとかね、「やすきよ」どう思う? とか適当に聞いて、最後に大事なことは、「月謝が払えるかどうかだけを聞きなさい。それで『月謝が払える』って言ったら丸してええからら」言うて「わかりました」って。そんな面接官ですよ。それで、浜田と松本が前に座って「お前らお笑い好きか?」とか「漫才見てんの?」とかいろいろ無駄話しといて、最後の最後に「お金払えますか君たち?」って聞いたら「はい」って言ったんで「合格」ってしたんは僕ですからね。
謝罪会見を開くたびに呼び出され…
田畑:そこからキャリアが始まっていったんですね。その後もさまざまな現場を踏んでいって専務まで。
竹中:そうですね。吉本は当時、47都道府県住みますプロジェクトがありましてね。各都道府県に社員と芸人を住まわせて。そんなことで僕も一時、東北を担当して、地方の開拓もしながら「事件だ竹中、戻ってこい」と呼ばれたら大阪とか東京に戻ってきて謝罪ですよ。謝罪のためにあっち行ったりこっち行ったりしてましたね。
田畑:吉本興業在籍時代に経験した謝罪会見はどんなものがあったんですか。
竹中:割と大きかったのは横山やすしさんの契約解除。お酒で失敗したり、ちょっとした暴力があったりとかいろいろあったんで。いくら懐が深い吉本でも、メディアに迷惑かけたりお客様にも迷惑かけるようなことがあったんで「タレントとしての活動を、吉本はもう面倒見ません」ってことでの契約解除発表会見。んで、当時の役員と僕の2人でその発表会見をやったのはえらい思い出ですね。「僕らが子供のときから見ていた人が消えていく」っていう感じと「こんなに大人も失敗し続けんねん」みたいなものを両方見たので、これは最初の大きなエポックな会見でしたね。