町中に降り積もった大量の火山灰

大火砕流を機に島原の空気は一変しました。大火砕流翌日。島原市役所から見た風景です。

いつ終わるとも知れない災害の中で島原から離れる人たちも後を絶ちませんでした。

《降り積もった火山灰》で島原には灰色の景色が広がっていました。

普賢岳災害は大火砕流の6月3日だけではなく、その後、範囲を広げながら噴火活動がほぼ停止する1995年まで4年間、続くことになります。

島原市では6月3日を「いのりの日」として普賢岳の大火砕流で犠牲になった人々を慰霊し、災害の教訓を後世に伝えていくことにしています。