学校給食のパン職人だった「亀島ウト」さんが店の起源
明美さん家族が営む店の歴史は戦後の沖縄に遡る。戦後アメリカ統治下の沖縄。学校給食にはコッペパンが並んだ。明美さんの祖母、亀島ウトさんはこうした給食用のパンを作る職人だった。
ウトさんの子孫は県内に広がり、那覇市を中心に6店舗を展開する亀島パン、浦添のベーカリーソレイユなど… 数々の人気店が生まれた。
那覇市内を中心に県内6店舗展開する「かめしまパン」は明美さんのいとこや親戚が、浦添の人気パン屋「ベーカリーソレイユ」は明美さんの姉が営む店だという。
「ヒロシ屋」はトヨさんの息子・弘さんが平成元年にオープン。弘さんが病に倒れ、娘の明美さん夫婦がその看板を継いだ店だ。
▽店主・沼野明美さん
「ばあちゃんから始まって、この味をお父さん、私たちと3世代に渡っているんですけど、この味をずっと続けていきたい、守っていきたいので頑張ってます」
ヒロシ屋の1日を見てみると…早朝は、朝食を買い求めるタクシーの運転手。日中は常連の人が中心で、夜になると塾の合間に夜食を買いに来る学生たちが訪れる。
それぞれの時間にニーズが生まれ、いつしか24時間閉められないパン店として、地域を見守る存在にもなっていった。
▽店主・沼野明美さん
「夜中も来てくれて、気を付けて帰ってね、とかちょっと声かけて、母親の気分なんです。どこかに灯りついてるって、暗い中で、ちょっとほっとするじゃないですか。子どもたちの塾の帰りでもそうですけど、電気がついているだけでほっとするというか、何かあった時に逃げてこられるというか」
「ヒロシ屋」の営業時間が長い理由はもうひとつ…