ハンガリーはヨーロッパ戦略の「入り口」

習近平主席の最後の訪問国はハンガリー。ここも中国との関係が緊密だ。ハンガリーもほかの東欧諸国同様、旧ソ連の衛星国から生まれ変わり、自由という価値観を取り戻した国だが、現在の指導者、オルバン首相は長期政権を続けるともに、強権的な手法を隠さない。ある意味、習近平氏と似た指導者といえる。

やはり、ハンガリーでも「一帯一路」プロジェクトが進み、中央ヨーロッパ、東ヨーロッパにおいて、中国企業が最も投資している国がこのハンガリーだ。中国のヨーロッパ戦略の「入り口」という表現をしてもよい。

この3か国の中で、習近平主席の訪問先として、メディアのもっとも注目度が高いのはフランスのように思える。マクロン大統領との首脳会談、それにEU(欧州連合)のフォンデアライエン欧州委員長を交えての三者会談の報道が目についた。そんな中で、私はフランスではなく、セルビア、ハンガリーへの訪問が気になった。

セルビアの人口は680万人。ハンガリーの人口は960万人。フランスに比べて、国力は圧倒的に小さな国だが、なぜ、この二つの国へ習主席は行ったのか。経済関係も大切だが、一方で、ウクライナとロシアの戦争の影がくっきり浮かび上がる。

セルビアの惨事から25年の節目

まずセルビアについて話したい。バルカン半島に、かつてユーゴスラビアという国が存在した。セルビアを含む連邦体としてユーゴは構成されていたが、解体された。民族、宗教が異なり、モザイク国家と呼ばれたユーゴスラビアが解体された原因こそ、この民族、宗教紛争だった。

現在のセルビアの形になったのは2006年。首都はユーゴ時代からベオグラードだ。ユーゴ紛争当時の1999年、NATO(北大西洋条約機構)の主力であるアメリカの戦闘機がベオグラードにあった中国大使館を誤って爆撃するという事件が起きた。建物は破壊され、中にいた中国の国営通信社の記者3人が犠牲になっている。

大使館の敷地の中の主権は中国だ。誤った爆撃だったとしても、中国からしたら、重大な主権侵害にあたる。

当時、私は新聞社の北京特派員だった。仕事場から近い、北京のアメリカ大使館には連日、大勢のデモ隊が押しかけ、大使館に向かって投石が続いたのを取材した。当局が主導する官製デモだが、参加者の目は真から怒りに燃えていたのを、記憶している。北京だけではなく、中国各地のアメリカの領事館、また世界各地にアメリカ大使館へ中国系住民がデモを繰り返した。

冒頭「中国共産党は節目を大切にする」と紹介したが、このベオグラードの中国大使館誤爆事件が起きたのが1999年5月7日。つまり、事件からちょうど25年が経つ節目の今年5月7日に、習近平氏はフランスからベオグラードに入った。

周到に準備をしたのだろう。中国側が希望し、中国と良好な関係を維持するセルビア側もお膳立てしたはずだ。このことから気になるのが、中国のウクライナ危機へのスタンスだ。今から2年前の5月6日、ベオグラードの中国大使館誤爆事件の「あの日」がまた巡ってきたタイミングで、中国外務省のスポークスマンは、こう言っている。

“「中国人民は1999年5月9日を永遠に忘れない。NATOによるこの野蛮な暴挙を永遠に忘れない」”

「中華民族が受けた屈辱を、心に刻み続ける」という宣言だ。この発言のあと、このスポークスマンは続けてこう述べている。

“「NATOは、主権国家に対して戦争を仕掛け、平和を損ない、多くの無辜の市民を死に至らしめてきた。そして、冷戦終結以降、5回も東へ東へと拡大をした。これは、ヨーロッパをより安全にするどころか、ロシアとウクライナの紛争の種を蒔き、ヨーロッパ大陸における新たな戦争につながっている」”

中国外務省はユーゴでの紛争とウクライナ危機を重ね合わせている。この発言は、ロシアによるウクライナ侵攻が始まって2か月あまり経過したころだ。つまり、「アメリカを中心としたNATOという組織が膨らみ、ユーゴ紛争、ひいてはウクライナ戦争に至った」という論理だ。

もちろん、ウクライナで起きている戦争について、中国は現在も、ロシアと同一歩調を取っているわけではない。だが、ウクライナ侵攻を、NATOのせいにする、というのはロシアのプーチン大統領と同じだ。ウクライナ戦争を機に、アメリカ、そしてアメリカが主導するNATOを非難する材料にしている。