「優しくて。私が励まされることが多くて」幼少期の尊富士

幼少期の尊富士関(左側)提供:母・桃子さん

Q.連勝が続いてるときはどんな心境だったんですか?
なんかもう、本当に…どうなったの?って思いましたね。まさかの、このままずっと行っちゃうの?っていう感じで。もうびっくりですね。(連勝が途切れた時は)
普通になんか、「あっ、負けちゃったな」っていうぐらいしか…。どのぐらい残念とか、なんか、その感覚もわからなくて。あんまり凄すぎて。

Q.尊富士関がケガをされたときは…
そのときは、とにかく顔を見に行きたいっていう感じでした。連絡よりも、もう行きたいって。その場所に行って、声をかけたいっていう感じでした。

Q.春場所は終わりましたけれども、いまは連絡を取られていますか?
まだ電話では取ってないんですけれども、LINEに(連絡を)入れておいて。いつ帰ってきてもいいように入れておいたら、やっと深夜に連絡が入ってまして。もう本人も「何から言っていいかわからない」って。「もうとにかく感無量」っていう感じでしたね。(連絡が)入ってました。

幼少期の尊富士関(左側)提供:母・桃子さん

Q.昔の話を聞きますが、尊富士関は、どのような子どもでしたか?
優しくて。私が励まされてることが多くて。本当に子育てしてても助かりましたね。精神的にも。男の子なので、お母さんに感謝を伝えるのって恥ずかしいじゃないですか?でも、それを言葉にしてくれたりするので、本当にありがたかったですね。

ちっちゃいときは、本当におとなしい感じでしたね。(兄弟と比べても)もう全然おとなしいほうです。(兄弟げんかとかも)あんまりしないですね。もう家族の中の癒やしみたいな存在です。

Q.一方で取組を見ていると闘争心がある印象なんですが、そういったのは…
なかったですね。兄弟がちょっかいを出しても「やめて」っていうぐらいで。
全然向かっても行かなかったですし。

中学校時代の尊富士関(左側)

Q.この子プロに行くのかな?と感じた瞬間はありましたか?
私からは「プロ行ってほしい」とかも伝えたこともなかったので。でも、大学3~4年生ぐらいになって、急に「プロ行く」って言われてびっくりしました。まさかでしたね。私の父(尊富士の祖父)の夢でもあったので、私は(プロ入りの)願いはあったんですけど。本人は、保育園のときから。もう物心ついたときから相撲をやってきたので。もうね。大学でやってそれで最後で十分かな?っていうのをちらっと前に話したときがあったんですよ。なので、大学卒業したらプロにはいかないと思ってました。

(尊富士関は)相撲をやる前は本当に華奢で。細くて。見た感じも、弱々しくてね。なんか話す声もちっちゃくて(笑い)。そんな感じの子だったので。