石巻市大川小学校では、児童と教職員あわせて84人が犠牲になりました。

11歳だった只野さんは、津波にのまれながらも奇跡的に助かりましたが、祖父、母、妹の3人を失いました。

只野哲也さん(2015年当時):
「私は絶対に大川小を残してほしいと思います。原爆ドームが原爆や戦争のおろかさを伝えてきたように、大川小も地震や津波の恐ろしさや命の大切さを何十年何百年何千年先の後世に伝えるきっかけになればと思います」

「校舎なんて二度と見たくない」。震災後、そうした声も根強いなか只野さんは、校舎を震災遺構として残すため仲間たちと活動してきました。大川小は伝承の場所であると同時に大切な母校でありふるさとの象徴だったからです。