2月に開幕する北京五輪のジャンプ代表に内定した小林陵侑(25)。オリンピックイヤーの今シーズン、出場したワールドカップで10戦6勝。強豪ヨーロッパ勢を抑え、単独トップに立っている。ジャンプの本場・ドイツの地元紙で特集が組まれるなど、海外でも注目され、五輪の金メダル最有力候補だ。その小林が師と仰ぐのは冬の五輪史上最多、8大会連続出場の葛西紀明(49)。二回り年の離れた日本の最強エースとレジェンドが語り合った。

Q.お互いの事をなんて呼んでいる?

小林:
監督。陰でノリさんって呼んでいます。
葛西:
そういう風に呼んでって言ったはずなんだけどおかしいな。「監督」とか「葛西さん」とか言われるとちょっと硬い感じがして。(小林のことは)「陵侑」が多いかな。たまに「ロイ」って言ったり。「陵侑」って噛みそうじゃないですか。面倒くさいから「ロイ」にしようって。たまに「ロイ」って呼んだりしますね。

Q.ここ最近の小林選手は葛西選手にどう映っている?

葛西:
僕が今まで何十年も色んな世界ジャンパー、トップのジャンパーを見てきたけど、1位2位を争うぐらいのすんごいジャンプをしてると思う。
小林:まじっすか?
葛西:うん。
小林:汗かいちゃったです(笑)。

小林がジャンプを始めたのは、5歳の時。自宅にある手作りのジャンプ台が遊び場だった。いつしか、遊びで始めたジャンプに本格的にのめり込み、努力で磨いた才能は、高校の時に開花。葛西の目に留まり、実業団・土屋ホームにスカウト。しかし期待されて挑んだW杯の総合順位は1年目で42位、2年目は順位なし、3年目で24位と惨敗。表彰台はおろか上位進出すら叶わなかった。そんな時、葛西からかけられたのは意外な言葉だった。

小林:
「頑張れ」っていうか「ダセぇ」ってあおってきて・・・。
葛西:
(小林は)負けてもケロっとしている感じだったんですよね。僕はジャンプ以外にも、どの球技でも負けたくなくて。(小林に向かって)すごいよね?俺。もう負けず嫌いというか負けない気持ちを前面に出すんですけど、当時の小林は負けてもケロっとしている感じだったんですよね。ジャンプを跳んでダメでもケロっとした感じ。
小林:はい。
葛西:
「悔しくないのか!」って。(小林に)悔しさを出させてやろうと思って言ったんですよ。その頃くらいから悔しいときは「悔しい!チクショー」みたいな(のが出るように)。意外と怒るタイプなんだなと。
小林:
「悔しいです」って言ってがむしゃらに頑張りました。本当に葛西さんはなにをやるにも ストイックで、これでこの強靭な体が出来ているんだなって。積み重ね、やっぱりすごいですね。

レジェンドの一言で、ジャンプへの向き合い方が変わった小林。 葛西と共に歩んできた、この8年。「見て盗め」「見て学べ」ということ指導方法も多いなか、葛西は言葉で、そして正確に、伝授するという。

葛西:
すぐ強く、遠回りなく、強くなって欲しいなっていう気持ちも込めて教えるんですけど、あっという間に僕より強くなってしまったんで、それもまた腹が立ってますね(笑)。この時代に葛西紀明という人物がいたことは(小林が)世界一になるための近道だったと思いますよ。僕が20歳ぐらいの頃に「葛西紀明」がいたら、もっと勝てたんじゃないかなあって思いますよ。だからズルい!
小林:
すみません。ラッキーです、本当に。(葛西は)普段はあまり言わないタイプで、やっぱり大事な時というか、そういうのを分かって言ってきてくれるので、本当に大事なタイミングで。本当に神様みたいな存在ですね。
葛西:
オリンピックってスキージャンプの中では一番大きい試合で、それが4年に一度、本当に2本しかない一瞬の出来事ですよね。タイミングとかいろんな運命だとかそういうものがあったりするし、こればっかりはメダルを取りに行って取れるものではない。運命とかそういうのが全部重なり合ったときに取れるもの。「駄目だったら次の4年後もあるし、駄目だったらその次の4年後もあるしっていうぐらいの気楽な気持ちで行った方が取れるかなと思うし。みんなに感謝して、謙虚な気持ちでいけば全てが味方してくれると思うので。まずは親に感謝して、会社に感謝して、応援してくれる方に感謝して。最後に神様葛西紀明に感謝して。
(一同笑い)
葛西:
4冠っていうのを頭に描いて。で、帰ってきたら(メダルを)1個ちょうだい。
小林:はい。
(一同笑い)
葛西:
僕の分をも取ってきてほしいなっていう、そういう気持ちですね。
小林:
北京五輪の目標はもちろん金メダルです。とにかくオリンピックのジャンプ台を飛ぶのがすごく楽しみです。