イランの戦時対応を主導してきたベテラン政治家アリ・ラリジャニ氏が、イスラエルの空爆で死亡した。イラン国営メディアが確認した。67歳だった。

国営メディアが報じた最高安全保障委員会(SNSC)の17日の声明によると、同委の事務局長だったラリジャニ氏は息子とともに死亡した。死亡の経緯に関する詳細は示されなかった。これに先立ち、イスラエルは同日、夜間の攻撃でラリジャニ氏を殺害したと発表していた。

ラリジャニ氏は数十年間にわたり、イランの保守政治の中核を担ってきた人物だ。抜け目のない現実主義と、イランの主要派閥であるプリンシプル(原則主義)派内の強硬派と穏健派との間をつなぐ能力で知られていた。現指導部に不可欠な最高安全保障のトップを失ったことで、イランが体制維持を託せる経験豊富な人材はさらに乏しくなった。

「ラリジャニ氏は長年、軍と政治体制の橋渡し役だった。ワシントンとの政治的打開を目指す最近の交渉の最前線に立っていた」と、欧州外交評議会の上級政策フェロー、エリー・ゲランマイエ氏は述べた。

ラリジャニ氏は2025年、2度目となるイランの最高安全保障責任者に任命された。米国とイスラエルによる攻撃で最高指導者ハメネイ師が殺害された今年2月28日以降、その役割は一段と重要になり、中東経済に最大限の混乱を引き起こす戦略へと指導部を駆り立てていった。

反政府デモの弾圧に関与と指摘

ラリジャニ氏は、故ハメネイ師の後継として次男モジタバ師を据えることに反対していたと広くみられていた。世襲統治がイラン・イスラム共和国の原則と整合しないとの理由からだった。

最高安全保障委の事務局長としてラリジャニ氏は「イランの戦略的意思決定の中枢に位置していた」と、アラブ湾岸諸国研究所のシニアフェロー、アリ・アルフォネ氏は指摘する。主に調整役として、安全保障の担当部局から提案を集約し、指導部に選択肢を提示し、その決定を実行に移していたという。

米国は今年1月、ラリジャニ氏に制裁を発動。昨年12月28日に始まった反政府デモにおいて、抗議活動に対して治安部隊を動員して暴力的な弾圧に及んだと非難した。

米国を拠点とする人権団体ヒューマン・ライツ・アクティビスツ・ニュース・エージェンシー(HRANA)によると、このデモでは民間人6488人が死亡した。ラリジャニ氏は弾圧への関与について一度も言及しなかった。

ラリジャニ氏が公の場で最後に目撃されたのは3月13日。テヘラン中心部で開催された大規模な政府主導の集会に出席していた。米国とイスラエルがテヘランを爆撃する中、人々の間を歩くラリジャニ氏の画像が、SNSで拡散した。翌日には、米国務省がイラン指導部の所在に関する情報提供に1000万ドル(約16億円)の報奨金を提示し、ラリジャニ氏の名前も挙げられていた。

ラリジャニ氏は故ハメネイ師と近い関係にあった。国営のテレビ・ラジオのトップに任命され、立法上の紛争を調整する政治評議会では故ハメネイ師の代理も務めた。国営放送のトップとして、ラリジャニ氏はイランの主要なプロパガンダ機関でもある巨大組織を統括する立場にあった。

国営放送は、情報・治安機関とも強い結び付きがあった。ラリジャニ氏はその影響力を使って、批判や反対意見の抑圧と検閲を進めた。

現実主義者としての評価

イランの核開発計画が西側の大きな懸念となった後、ラリジャニ氏は2005年に国家安全保障のトップに就任し、核合意を巡る交渉も率いるようになった。

ラリジャニ氏は欧州、ロシア、中国の高官級外交官と接触し、現実主義者としての評価を確立した。また、イラン体制にとって最有力の外交特使としての基盤も築いた。1月にはモスクワを訪れてプーチン大統領と会談し、米国との核協議の期間中には湾岸アラブ諸国の間を行き来した。

国内では、強硬で対立的な姿勢で知られたアフマディネジャド元大統領としばしば対立し、その衝突が故ハメネイ師の介入を必要とするまで激化することもあった。

2007年、ラリジャニ氏が最高安全保障委から退くと、アフマディネジャド氏は外交経験に乏しい強硬派をすぐに後任に据えた。退任後も、アフマディネジャド氏の支持者はラリジャニ氏への批判を続けた。2013年には、イスラム革命記念日の演説中に野次を浴び、靴を投げ付けられ、演説を途中で切り上げた。

年を追うごとに、ラリジャニ氏は政治姿勢を次第に穏健化させた。2015年には、故ハメネイ師との関係や国家安全保障分野での経験、核問題に関する深い知識、さらに国会議長としての立場を生かし、米国との画期的な核合意の成立を後押しした。

弟は最高指導者候補の一人

1958年にイラクのナジャフでイラン人の両親のもとに生まれた。4人の息子はいずれもイランで、強硬派政治家や聖職者として頭角を現した。弟のサデク・アモリ・ラリジャニ氏は有力なアヤトラ(高位聖職者)で元司法府代表であり、将来の最高指導者候補としてたびたび名前が挙がる人物だ。

ラリジャニ氏は神学を学んだ後、イラン屈指の名門大学でコンピューター科学と数学の学位を取得。その後は哲学を学び、ドイツ啓蒙思想家カントに関する著作を発表した。

トランプ米大統領が第1次政権で核合意から離脱した後、ラリジャニ氏は一時的にイラン政治の表舞台から退いた。大統領選には、出馬を2度阻まれたことがある。この背景には、より原理主義的な強硬派が政治的影響力を強める中で、故ハメネイ師側の意向が働いたとの見方が広がっていた。

原題:Ali Larijani, Key Wartime Leader in Iran, Is Killed at 67(抜粋)

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