(ブルームバーグ):フアン・アントニオ・サマランチ氏(65)が父親に連れられてオリンピック(五輪)を初めて観戦したのは12歳の時で、1972年のミュンヘン大会だった。同大会は米国代表の競泳選手マーク・スピッツが当時では史上最多となる7個の金メダルを獲得したが、その栄光はイスラエル選手団11人が犠牲となったテロ事件の陰に隠れてしまった。
サマランチ氏の父親は当時、国際オリンピック委員会(IOC)の幹部だった。後にIOC会長になる父親からは、同行しても構わないが日記を書くよう強く言われたことを鮮明に覚えているという。同氏はジュネーブでのインタビューで「私はスピッツ選手のことやテロ事件、ヘリコプターが上空を飛び交うのを目撃したことも覚えている」と振り返った。

ミュンヘン大会の悲劇に続き、76年のモントリオール大会では巨額赤字、80年と84年のモスクワおよびロサンゼルス大会では複数国が参加をボイコットするなど、五輪を巡っては危機的な状況が続いた。父のサマランチ氏は約20年に及ぶIOC会長の在任中に五輪の商業化を推し進め過ぎたと一部から批判されたが、IOC内では財政基盤を強化したとして評価されている。
サマランチ会長が退任したのは2001年。それから四半世紀を経て、息子のフアン・アントニオ氏は、コスト意識が高まったIOCの会長の座を狙う候補者の一人となっている。IOC会長選は3月、無記名投票で行われる。
息子のフアン・アントニオ氏は約40年にわたる金融業界でのキャリアを生かし、IOCの資金調達を見直したいと考えている。「IOCは非常に重要で効果的なNGO(非政府組織)だ」と述べた上で、それと同じくらい重要なのは「われわれは事業体として行動する必要があるということだ。事業を維持するために資金を調達しなければならない」と主張した。
ニューヨーク大学で経営学修士(MBA)を取得した同氏は、ウォール街がブームに沸いた1980年代にSGウォーバーグやファーストボストンで銀行業務に携わった。その後、スペインのマドリードに拠点を置くブティック型投資銀行およびM&A(企業買収・合併)アドバイザリー会社、GBSファイナンスを共同で設立。 2001年にIOCに加わった。
サマランチ氏は、IOC会長選に立候補している7人の中で、自身を差別化できるアイデアが大きく二つあると考えている。一つは、IOCでの「知識、経験、人脈」を活用した投資ファンドを設立し、スポーツ関連事業に投資することだ。もう一つは、五輪大会のホスト放送局であるオリンピック放送機構(OBS)の収益化だという。
IOCで投票権を持つ委員110人の中には英国のアン王女やインドの富豪ニタ・アンバニ氏、クレディ・スイスの最高経営責任者(CEO)だったティージャン・ティアム氏らが名を連ねる。
原題:The Spanish Investment Banker Vying to Run the Olympics(抜粋)
--取材協力:Aisha Ziaullah.
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