当時、この近くに住んでいた小俣キヌ子さん。

小俣キヌ子さん:
「当時、落下傘と言ったパラシュートのことを。落下傘でアメリカ兵が降りたと言うのを知り、学校に向かって5、6人で歩いていた」
小俣さんが着いた頃にはパラシュートで降りたアメリカ兵は既に死亡していて、山から降ろされ、道の脇にあった荷台の上に仰向けの状態で寝かせられていたということです。
そしてその周りには20人から30人の村人がいました。
小俣キヌ子さん:
「(死亡し)寝かされている兵隊さんに馬鹿野郎とか色んな悪態をついていた。石を投げている人も多かった」