きょう9月18日は敬老の日です。人生100年時代、テレビ山口が取材した元気な人をバックナンバーでご紹介します。(2021年9月放送・年齢や肩書きは取材当時)

山口県上関町で100年前から営業を続ける天ぷら屋の店主は取材当時91歳。

真心と感謝を大切に生涯現役を貫きます。

上関水産 原田博之代表(取材当時91歳)
♪【鳩子てんぷら美味しいね】「『鳩子てんぷらおいしいね上関なら、上関なら、原田だね』お粗末さまでございました」

サービス精神旺盛なこの男性。91歳になりました。上関町の原田博之さんです。

天ぷら屋の3代目として今なお、店に立ち続けています。
商品の製造、接客経理まで1人何役もこなすまさに「スーパーおじいちゃん」です。

原田さんの1日は早朝・午前5時に始まります。

「天ぷらの油を取りながらこれ並べていって乾燥させて乾燥した製品をこういう風に袋詰めにして」

天ぷら造りは原田さんの祖父が明治42年に始めました。

地元の新鮮な魚をすり身にしています。
衣をつけずに揚げる練り製品の一種で、魚の素朴な風味とこうばしさが引き立つ漁師町ならではの逸品です。

10年前まで柳井市で居酒屋を切り盛りしていた長男の資さんが主に仕込みと調理を担当し、原田さんができあがった商品の油を1枚1枚落としていきます。

4代目 長男 原田資さん(60)
「毎日が楽しいですね(お父様と一緒だと?)はい、(どんなときに感じますか)いま一緒に暮らしているんですけど、飯食うときとか一緒の趣味の野球観戦とかするときにすごく楽しいです」


息の合った作業で次々に天ぷらができあがります。

原田博之さん「仕事中は立ちっぱなしでやっています。休む暇もないです」

休むどころか30秒でも時間が許せば外に出て体操をし、体をほぐします。

1時間以上の立ち仕事も、全く苦にしません。

「それが私の努めですから。頑張ります。頑張るしかない」

原田さんは1930年、8人きょうだいの長男として生まれました。

「一生懸命働いている姿を見て私も育ったものですからそれをただ自分が受け継いで実行に移しておるというような現状です」

戦後、上関町役場に就職して町の職員として働きながら、朝晩は家業を手伝うという忙しい生活を定年まで続けました。

現在、妻の光子さんは病気のため入院中ですが、長男・資さんと二人三脚でふるさとの味を守り続けています。

70年以上にわたり昼夜、働きづめの人生を送ってきた原田さん、これまで1度も病気やけがで入院をしたことがないそうです。

長男 資さん
「尊敬する人です。とにかく憧れです。ちょっとでも近づけたらいいなと思うんじゃけど、なかなか・・・近づいたと思ったら遠くに離れてしまうけぇ」

原田博之さん
「うれしいですよ。やっぱりね、子どもからそういう風に慕われる親になりたいと思って私も自然にそうなったんじゃろうと思うんですけど」

機械の片付けと商品の配送が終わると、息つく暇もなく接客です。

顔なじみの常連がやってきます。

天ぷらの味はもちろん、軽快な話術で客の心をつかんできました。

新型コロナ前は広島県から毎月のように買いに来る熱心なファンもいました。

常連の女性「(原田さんは)つえもいらんからね負けたわ。負けたよ」

「人のためにということでいつも心にはこういう気持ちを持って仕事をしていますので自分のためもさることながらやっぱりこれでお客さんに喜んでいただく笑顔を見たら、作ってよかったなという気持ちが倍増して自分の心に返ってきます」

若いころから一貫しているのは客に真心を尽くし、感謝することです。

戦時中、鉄の機械が徴収され、存続の危機にひんしたときも下を向くことはありませんでした。

「機械もないんじゃけどこの臼が残っておるけえこれだけが1つの私らの仕事の道具じゃから。これじゃったら天ぷらができるけえ」

戦後、人口減少が進む漁師町で商売を続けるのは苦労の連続でした。支えになったのは昔ながらの天ぷらを楽しみにしてくれている人の存在でした。

「人に助けていただいた。上関の皆さんに助けていただいたそれが私がもっともでございます」

原田さんの「真心」は天ぷら造りにとどまりません。