山形県内の気になる話題を深く掘り下げる「ユウキノフカボリ。」

2022年はスポーツで、北京で銅メダルを取った森重選手や、引退を表明した加藤条治選手など、スケートのオリンピアンに関する話題がありました。

こちらの選手も今年、新たな一歩を踏み出しました、ウイリアムソン師円さん。

師円さんが描く未来をフカボリします。

スピードスケート・ウイリアムソン師円さん
「高校3年生で日本代表にデビューしてから9年間日本代表として戦った恵まれたスケート人生だったと思った」

スピードスケートのウイリアムソン師円さん。

出身は北海道。

高校時代は山形中央でスケート技術を磨き、3年生のとき、男子5000メートルでソチオリンピックに出場。

続く平昌オリンピックでもリンクに立ち、パシュートで5位などの成績を収めました。

まさに世界で戦ったトップアスリート!

そんな師円さんですが、2022年3月、9年間の日本代表としての活動に区切りをつけました。

そして今は。

スピードスケート・ウイリアムソン師円さん
「たくさん色々な所から誘いはあったが、自分が1番お世話になった山形に恩返ししたいなという強い思いがあった」

山形で新しいスタートを切りました。

新たな道はホテルマン。師円さんは、蔵王に本社を置くタカミヤホテルグループに入社。

さらに取り組んでいることが。

ウイリアムソン師円さん
「きょうの練習は脈をしっかり上げて足にこさせる練習じゃなくて脈を上げる練習」

母校、山形中央高校スケート部の外部コーチに就任したのです。

元日本代表として、オリンピック経験者として何をどう伝えるのか。

師円さんにとって、新たな挑戦です。

ウイリアムソン師円さん
「指導の経験があったわけではないので自分の思っていることを選手に伝えるのは難しいが、世界の様々なスタイルのスケートが自分の頭の中には入っているのでいいものをチョイスしながら選手がのびのびプレーできる環境を整えられたらと思う」

師円さんは複数のスケートの種目で日本代表となった経験があります。その幅広いノウハウがアドバイスに生きています。

と思ったら、あれ?自身もトレーニングをはじめました。

師円さんもバイクトレーニング!

実は、今も山形県の選手として大会に出ているのです。

また講演会も積極的に行い、スケートの魅力を発信しています。

ウイリアムソン師円さん
「欲を言えば(スケートを)生涯スポーツにしたいという思いがある。一線を退いた選手も大会などローカルな所に出ることで競技の普及にもつながる自分が氷に立ち続けることで背中で感じてくれる人はたくさんいるのでは」

師円さんがコーチをつとめ、また、選手として一緒にすべることで高校生たちは、オリンピアンの技術を肌で感じることができます。

山形中央スケート部・鈴木藍成選手(2年・県出身)
「色々なところでスケートについてくわしい。とても自分にとって身になっている感覚がある」

山形中央スケート部・小谷謙太朗選手(2年北海道出身)
「海外の選手の滑りを分析しているので、それを教えてもらって参考にしている」

後進の育成という新しい挑戦をしながら、自身も新たな感覚でスケートに向き合っていると言います。

ウイリアムソン師円さん
「氷の上には立ち続けたいという思いはあった。今までは結果だけが求められる世界でやっていたが今は純粋にスケートを楽しみながら氷の上に乗るという楽しさだけを感じながら滑れている」

山形に恩返しがしたいとやってきて、後進の育成をし、スケートを楽しむ。

そんなウイリアムソン師円さんが思い描く「未来」とは?最後に書いていただきました。

ウイリアムソン師円さん
「『山形をウインタースポーツの聖地に』と書きました。スケートとスキー(両方)が盛んな地域は全国でも少ないのでウインタースポーツをもっともっと盛んにしてウインタースポーツと言えば山形って言ってもらえるような普及活動をしていけたらいいと思う」