太平洋戦争中、熊本県天草市の沖あいで、アメリカ軍の潜水艦によって、旧日本海軍の軍艦が撃沈されました。乗組員の多くは北陸や東北の出身者で、富山県出身者は51人が犠牲となり、今も天草の海に沈んでいます。この戦闘で父を亡くした遺族の思いを取材しました。

上市町の種口泰生(たねぐち・やすお)さん(85)は、太平洋戦争で父親を亡くしました。

種口泰生さん
「わしここ朝散歩に出るんやけど、いつもさ、こんなんして、手上げながら前通ってくがやけど」

種口さんの自宅のすぐそばにある慰霊碑、「海軍上等兵曹・種口要二之碑」。50年前、母のふみ子さんが戦死した夫を供養するために建て、家族で守り続けてきました。

父親を亡くした 種口泰生さん
「父親っていうのはもともとおらんもんかなって、そういう感じだったもんね。小さい頃の記憶は覚えてもおらんし…」

種口さんの父・要二さん。太平洋戦争で徴兵され、旧日本海軍の軍艦「長良」の乗組員となりました。

父親を亡くした 種口泰生さん
「なんか砲弾って聞いとったんやけど、大砲撃つとこね、機関銃も撃ったりさ、そういうところにおったみたい」

「長良」は、佐世保港を母港に太平洋戦争では中国の青島方面などで行動していた軍艦(軽巡洋艦)です。戦争後半は沖縄の市民を九州に疎開させる輸送任務にあたっていました。

父親の記憶がないという種口さん。残されているのは写真帖だけです。

父親を亡くした 種口泰生さん
「戦争がまだ始まったばっかりで、フィリピンや東南アジアは日本の領地だったところやから」

「長良」の寄港先で仲間や現地の人たちと撮影した写真だけが父の姿を種口さんに伝えてくれています。

父親を亡くした 種口泰生さん
「船の中から出したんや、検閲って書いてあるから」

はがきは、「長良」から、要二さんが自分の父にあてたもので、「一丸となって戦い抜かねばなりません」と決意が書かれています。

要二さんが残した手紙には、幼い泰生さんを案じる言葉が綴られていました。

「泰生は風邪ひきから肺炎を発し、お手をわずらわせているとのこと。本当にお世話ばかりかけ申し訳がありません。その後、病状はいかがでありますか」

「願わくば、私が帰るまで元気で居てください」

戦争で父親を亡くした 種口泰生さん
「子どもの心配しておったんだね、わし小さい頃、体弱かったんやね」

1944年8月、「長良」は熊本県天草市・牛深港の沖あいおよそ10キロで、アメリカ軍の潜水艦の魚雷攻撃を受けて沈没しました。

アメリカ軍の潜水艦が撮影 沈没直前の「長良」

亡くなった乗組員348人のうち51人が富山県出身者で、種口さんの父・要二さんは31歳で亡くなりました。

今も、富山から800キロ以上離れた天草・牛深の海で、船とともに海底に沈んでいます。

戦後80年を迎えた去年。海上で「長良」の戦没者の慰霊式が行われました。

地元では「長良」の慰霊式が続けられていて、そのきっかけは佐々木ツルさんという一人の女性の思いでした。

乗組員と交流があったツルさんは一人で慰霊を続け、終戦25年後には、行商で蓄えた私財を投じて慰霊碑を建てました。

軍艦「長良」とともに沈んだ多くの命を悼むツルさんの思いは、今も地元で受け継がれています。

福本壮一さん
「ツルさんの遺志を継いで、この慰霊祭を通して戦争の悲惨さや平和の尊さ、平和でありたいということを発信していきたいと思います」

種口さんは、去年12月、これが人生で最後の慰霊になるかもしれないと、息子の茂さんと一緒に、父が眠る海や軍艦長良の記念館を訪れました。

父親を亡くした 種口泰生さん
「佐々木さんっていう方がこういう慰霊碑造ってさ、いつも守っておってくれたわけ、その人にもいろいろお礼も言いたいし」

種口さんが記念館に届けたものがあります。

父親を亡くした 種口泰生さん
「(家の近くの)そこの石碑からもうちょっと下がったところから撮った写真を元にして版画にしてみた、剱岳ね」

種口さんは趣味の木版画で描いたふるさと・剱岳の景色を、県民51人が眠る天草に持っていきました。

父親を亡くした 種口泰生さん
「富山の人もたくさんおるから、こういう景色をまた思い出してもらいたいなと思って」

82年間、海底に沈んだままの軍艦「長良」。来月、海底に沈んでいる「長良」の現状を記録するため、初めて有人による潜水調査が行われる予定です。

父親を亡くした 種口泰生さん
「そういう戦争があって、戦死者もたくさん出たってことを記憶してもらうにはちょうどいいタイミングじゃないかと思う。若い人は戦争のことなんか、全然わからんと思う。だから、戦争があったっていうことを記憶に残すのには必要だと思う」

「長良」の潜水調査は、7月下旬に予定されています。

水中探検家の伊左治佳孝さんが水深100メートルにある長良の映像や写真を記録します。かなりの深さでの潜水調査ですが、伊左治さんは「長良を語り継ぐ一助になれば」という思いで調査に臨むということです。