胸に湧き上がった直感を信じ、能登・珠洲の地で新米職人として歩み出した熊本美代子さん。技術を学びながら、AIの活用など新しいアイデアを次々と膨らませていきます。しかし、彼女が働く仕事場もまた、能登半島地震の大きな傷跡が残る場所でした。被災地のリアルな課題に向き合いながら、熊本さんが見つめる「塩づくり」のこれからの未来とは。
※本記事は3部作の第3部(最終回)です。
【第1部:「自分は世界中にいていいんだ」】
【第2部:「無理はしない、塩の声を聞く」】
能登製塩の歩みと、今も残る被災地の課題
熊本さんが働く能登製塩もまた、能登半島地震で大きな被害を受けた。
2024年1月1日、責任者の馬鉢さんは工房にいた。
見たことがないくらい潮が引いている。
「津波が来る!」
そう思って山の上に避難したが、一夜明けても津波は来ない。ただ、潮が引いただけだと思っていた場所に、二度と水は戻ってこなかった―。
海底が、一瞬にして隆起していたのだ。
地震による海底隆起の影響で取水が困難になり、一時は塩づくりを諦めようと考えたこともあったという。
工場を別の場所に移す案もあったが、そこへ強く反対したのが先代社長だった。
その後、パイプと中継タンクを使い取水が可能となったことで、2025年3月に塩づくりを再開。同年7月、再販売にこぎつけた。
取材中、本社の高山さんに促され筆者も海水を舐めてみた。甘みを感じる。
高山さんは入社後、実際にこの場所へ足を運び、この水の味を知ったことで、先代社長が反対していた理由が腑に落ちたという。
「この場所の、この水じゃないと能登製塩の塩は作れない」
工場から100m離れた場所からの取水になり、12トンのタンクを満水にするのに4時間半ほどかかるようになったが、メリットもあったという。
以前より塩の質が良くなった。塩のまろやかさが増し、さらに美味しくなった。
一方で課題もある。
現在も工房では電話線が切れていて固定電話が使えない。通信手段がスマートフォンだけで、格安SIMのテザリング機能を使い、本社とメールなどのやり取りを行っている状態だ。
また、トイレの浄化槽修理は1年以上前に申し込んでいるものの、今なお順番待ちの状態が続いており、工事の目処が立っていない。
インフラや労働環境を整備するため、現在、補助金の申請を行っているが、採択までにはさらに1〜2か月を要する見込みだ。
高山さんは「熊本さんたちが、少しでも早く、安心して働きやすい環境を整えていきたい」と話す。










