高校野球界にその名を轟かせる聖光学院。春夏合わせて22回の甲子園出場を誇り、全国の頂(いただき)を目指して日々研鑚を積んでいます。

しかし、21年夏の県大会。優勝候補の筆頭だった聖光学院を悪夢が襲いました。

まさかの、準々決勝敗退。戦後最長だった夏の甲子園の連続出場記録が13で途絶えました。

聖光学院・斎藤智也監督「どこかで途切れるのが記録なので、いつ負けても悔いは無いなと準備はしていたが、ここまでの頑張りは称えてやりたい」

試合後、斎藤監督が労いの言葉をかける中、誰よりも責任を感じていたのが、当時2年生で最後のバッターとなった山浅龍之介(やまあさりゅうのすけ)選手でした。


聖光学院3年・山浅龍之介選手「去年は本当に先輩方を負けさせたくない、そういう思いで一試合一試合やっていたが、結果的に自分が最後のバッターになってしまって、あの時は本当に悔しさしかなくて先輩方に申し訳ないなという気持ちだけだった」

負けた後、すぐには気持ちを切り替えられなかったという山浅選手。


それを見兼ねた新チームのキャプテン赤堀(あかほり)選手は、敢えて厳しい言葉で奮起を促したといいます。


聖光学院3年・赤堀颯主将「秋すぐに切り替えろといっても難しい部分があるのは分かっていたが、3年生と負けたことを悔いるより3年生を(甲子園に)連れて行くことが一番の恩返しだと思ったので、プレーでも言葉でも厳しい言葉をかけた」


それ以来、悔しさを原動力に変えてきた山浅選手。冬場のトレーニングでは、体重を10キロ近く増やし、追い込まれた場面で打つための精神力も磨いてきました。

聖光学院3年・山浅龍之介選手「やっぱあの最後の打席、あのような場面でヒットを打てるような精神力だったり気持ちの面であったり、そういうのに対して、また1年かけて作り直していこうともっと強くしていこうという思いを持って1年間過ごしてきた」