原発事故をめぐる裁判で、最高裁の判決が確定してから、6月17日で1年となりました。福島の生業、千葉、群馬、愛媛の4つの裁判で、最高裁は「仮に国が原発事故を防ぐための措置を東電に義務付けたとしても、事故が発生した可能性が高い」と結論づけ、国の責任を否定する判断が示しました。あの日、判決を聞いた原告たちが何を思うのか。判決のあとも戦いを続ける人たちに話を聞きました。
■「国の責任」問い続ける原告たち

17日の最高裁前。1年前に判決が確定した生業訴訟をはじめ、4つの裁判を戦った原告や支援者など、およそ80人が集まりました。生業訴訟の原告団長・中島孝さんは、他の裁判の原告とともに、最高裁の判事あてに改めて国の責任を指摘し、公正な判決を求める請願書を手渡しました。
「各判事さん全員の分を準備させていただきましたので、どうかよろしくみなさんにお伝えください。よろしくお願いします」

その2日前、自らが経営する相馬市のスーパーマーケットに、中島さんの姿がありました。バックヤードで手際よく、ブリやアイナメの刺身を作りながら自嘲気味に話します。
「裁判で最高裁に出かけて文句言ってくるとか、そういう行事が気分転換になっている。じゃなかったら、朝から晩まで365日そんなことばっかり。ここから逃げられないんだよ。もう籠の鳥みたい」
生業訴訟のうち、最高裁で判決が出たのは、第一陣の原告たちで、第二陣の審理は福島地裁で継続しています。中島さんは引き続き、団長として県内外を駆け巡る日々です。

「かみさんと息子はプンプンなんだよね。仕事を全然やらないじゃないかって。『生業を返せ!』と言いながら、自分の生業をどうして放棄するんだみたいに言われている」