山内選手は、右足のけがの影響で、7月の世界陸上は代表落選。
思うような結果が出なくても、常に世界の舞台を目指してきました。

そこには、恩師との約束がありました。
山内選手「一緒にパリオリンピックに出ようと言ってくださって、すごいうれしかった。必ず先生を連れて行こうと思って」

今年5月に亡くなった東邦銀行陸上競技部の川本和久監督。

数多くの代表選手を育ててきた名伯楽は、亡くなる1か月前、山内選手への期待を口にしていました。
生前の川本監督「非常にクレバーなので、それを上手に使いながら今よりも拡大していって、福島の宝としてこれからもしっかりと育てていきたい」

川本監督との約束を原動力に・・・
秋の全日本実業団陸上では、4位に入るなど回復の兆しを見せる山内選手。

再起をかけ、再び世界の舞台を目指します。
山内選手「ブダペスト世界選手権や、川本先生が言ってくださっていたパリオリンピックに出場するというところは絶対に達成して、日本人初のオリンピックの決勝に残ることを目標に、今後精一杯取り組んでいきたい」
