「原爆を除くすべての攻撃受けた」伝え続ける証言
80年前のこの日。伊藤さんたちが立つこの場所が、空襲の標的になりました。郡山駅の東側、工場がある一角です。
伊藤さん「ここでは460名が亡くなっている。この460名というのは(空襲被害としては)福島県の中では最多だった。郡山は原爆を除いてすべての攻撃を受けたところ」

当時の消防団による文書が残されています。「爆撃で火災が発生し、駅前付近の消火にあたった」と記録されています。当時、工場では、航空機に入れる燃料の添加剤を作っていました。12日の空襲では、460人が亡くなり、その中には、学徒動員された10代の学生30人も含まれています。

終戦の年、この空襲も含め、郡山市では、4回の空襲がありました。そのうち、7月の空襲は、8月の原爆投下と深い関わりがあります。郡山駅といまの安積黎明高校に2つの爆弾が投下されました。原爆と同じ重さや形をした「模擬原爆」です。

伊藤さん「(証言では)郡山駅の投下地点、リヤカーをひいて水神様の前を通りって書いてある。ここを通っていったんですね。防空壕へ行って、瞬間ウォーッと音、その直後ドスンというすごい音がしたと」