提訴から6年…原告40人が亡くなる

この裁判のきっかけは、2013年にさかのぼります。浪江町の町民およそ1万5000人が、東電に対し、慰謝料の増額を求める申し立てを行いました。これは「ADR」と呼ばれる手続きで、裁判をせずに和解を仲介するものでしたが、東電は5回にわたり受諾を拒んだため、2018年に手続きが打ち切られました。

和解を拒む東電を疑問視する声が相次ぎ、町民の中からおよそ700人が提訴に踏み切りました。そして、提訴から6年が経った14日、東電との和解が成立しました。原告側によりますと、和解勧告書では、コミュニティが壊されたことによる慰謝料のほか、ADRでの和解を拒否したことによる期待権の侵害も認めました。

原発事故から13年、提訴からは6年。裁判は区切りとなりましたが、提訴の後、40人の原告が亡くなりました。もっと早く解決できなかったか、今後設けられる謝罪の場で東電が何を話すのか、注目されます。