ベガルタ仙台 郷家友太選手:
「ベガルタ愛を語るなら、学校を早退して試合を見に行ったことです。ガンバ戦が平日のデーゲームだったときだったと思います。赤嶺選手がゴールを決めたのを覚えています。流せますこれ?時効ですよね。はい、お願いします…」
多賀城市出身の郷家選手には、今でも忘れられない試合があります。

ベガルタ仙台 郷家友太選手:
「一番は震災のときのJリーグを再開した一戦目のアウェー川崎戦です。それは僕だけじゃなくて宮城県民の方も、サッカー好きなら見てると思います。僕はテレビで見ていました。リアルタイムで最後の鎌田選手のヘディングシュートまで全部見ました。やっぱりサッカー小僧としても、いち被災者としても、すごく勇気をもらったし、アカデミー生だったので“ここを目指すんだ”というのを、その当時かなり強く思った。

(Q あの試合で受けた影響は?)
(自分は)前線の選手なので、せっかくならゴールを決めて子供たちのヒーローになれればな、というのはあります」
青森山田に転入した理由は

中学生のときに、自分の意志で強豪青森山田に転入、厳しい環境にみずから身を投じました。