生身の人間が焼かれる惨さ
防空壕のほとんどは、土を掘りトタンなどで覆っただけの簡素な作り。周囲が炎で包まれると蒸し焼きや窒息などを招き、被害を防ぐどころか人的被害拡大の一因となりました。

阿部邦彦さん:
「次の日にトラックが来て、防空壕から縄で遺体を引き出しトラックに山積みにしていた。遺体を見たら幼いきょうだい、男の子と女の子が手を繋いだまま半分焼死の状態だった」

阿部さんは、比較的頑丈な防空壕で奇跡的に助かりましたが、1歳だった弟を亡くしました。
阿部邦彦さん:
「母親が抱っこしながら『呼吸していない』と言っていた。周りの大人が『おっぱいを吸わせろ』と言っていたが『吸わなくなった』という声が聞こえた。1歳だから疎開もできなかった。母親と一緒にいないといけないから。戦争にはルールはないという感じがしましたね。戦争が始まると一番最初に犠牲になるのは弱い立場の人たちです」
市民が暮らす街を徹底的に焼き尽くす非人道的な行為。生身の人間が焼夷弾によって焼かれる惨さは想像を絶します。
一方、当時の日本側の対応も、市民の命を守るどころか当たり前のように犠牲を強いる非人道的なものだったと言わざるを得ません。