きっかけは被災地・宮城への訪問でした
舞木ひと美さん:
「まず前を向いて生きていこうということを伝えたくてなので、そこと戦ってきた宮城の地、人たちの力を借りることでこの映画の伝えたいテーマを具現化して表現できるとなった」

舞木さんは、震災から10年目を迎えた2021年の3月11日に、映画の指揮を執った山本透監督と被災地を訪れました。

舞木ひと美さん:
「語り部さんたちが共通して言ってたことは、傷なんて癒えることないし、なくなったものは二度と戻ってこないけど、傷と共に生きていく覚悟をもてたと言っていた」

現在、東京を拠点に活動する舞木さん。小学2年生の時に観たローマの休日のオードリー・ヘプバーンに憧れ、俳優を志しました。俳優としての原点は、被災地での舞台でした。2011年、当時、京都の大学で映画学科を先行していた時のことです。その年の12月、大学の仲間たちと復興支援のために東松島市を訪れ、演劇の公演でヒロイン役を務めました。

舞木ひと美さん:
「体育館にいたおじぃちゃん、おばぁちゃんや若い子たちが頑張れって言ってくれるんですよ。ステージに向かって。みんなのためになればと思ってこの地に来たのに、被災地の人たちからこんなにエネルギーをもらうんだと。だから、その時から同じかもしれない今回の映画も」

「有り、触れた、未来」は、大手の配給会社に映画製作を断られました。







