高熱を出した数日後に逝去

17日には家康公を最高位である大政大臣に任ずるために朝廷から勅使が駿府城に送られましたが、この大事な場面でも家康公は起き上がることができなかったと記録されています。4月に入ると側近を枕元に集め「自分の遺体は久能山に納め、葬儀は増上寺で行い、一周忌が過ぎたら日光に小堂を建てて勧請するように」と遺言を伝えます。その数日後高熱を出した家康公は白湯しか受け付けなくなり、4月17日の午前10時ごろに息を引き取ります。75歳でした。

死因は「胃がんの進行による全身衰弱と…」

家康の眠る墓所「神廟」久能山東照宮

「高熱は進行がん特有の腫瘍熱、または嘔吐に伴う誤嚥(ごえん)性肺炎が原因ではないでしょうか。がんは比較的最期まで意識が保たれる病気なので、腫瘍が神経部分にまで広がっていなければ痛みもそれほどないので家康公は側近たちに自分の望みをはっきり伝えることができたでしょう」。松田先生は家康公の最期をこう説明します。「直接の死因は、胃がんの進行による全身衰弱状態に誤嚥性肺炎を併発と推察するのが妥当です」

当時のがんは長寿病

それでは家康公はどうして胃がんになったのでしょうか。「胃がんの主要な原因は、ピロリ菌、喫煙、塩分の摂りすぎです。胃の中に住むピロリ菌は井戸水の中にも生存していると言われています。ピロリ菌は子どもの時期に感染します。人糞(ぷん)を使った肥料で育てた野菜を摂取したり、ピロリ菌保菌者が子どもに口移しで食べ物を与えると感染します。衛生状態が悪かった昔は今以上に感染リスクが高かったでしょう。冷蔵庫などない時代ですから、塩漬けの食品が多く、なおさら胃がんになりやすい時代だったのでしょう」

しかし胃がんが原因で死亡する日本人は当時少なかったのではないかと松田先生は推察します。「傷ついた細胞が再生する際に何らかの刺激によってDNAの複製ミスが起こるのががん発生のメカニズムです。当然がんはありましたが、実際はがんの発生が多くなる50〜60代になる前に結核などの感染症でなくなる例がほとんどだったと思われます。家康公が推察の通り胃がんだったとすれば、長寿だからこそかかった病気といえるでしょう」