山ノ内町にゆかりの深い故・山岸一雄(やまぎし・かずお)さんです。この山岸さんが“生みの親”といわれているのが、今ではおなじみのつけ麺なんです。
つけ麺が世に出て70年。
山ノ内町で山岸さん考案の当時の味を再現した復刻つけ麺が1日発売されました。

復刻版もりそば。1日によみがえった70年前、誕生当時の“元祖”つけ麺です。
山岸一雄さんが東京の大勝軒で商品化したのが、1955年。同じ年に、山岸さんが少年時代を過ごした山ノ内町も町制をスタートさせました。
1日は、2つの70周年を記念したイベントが開かれ、県内外のラーメンファンおよそ60人が集まりました。
待ち望んでいたのが、「70年前の味の限定復刻」です。
「どうしても食べたくて栃木から来た。おいしい。」

開発に挑んだのは、山岸さんの愛弟子の一人で、山ノ内町などで大勝軒の看板を継ぐ田内川真介(たうちがわ・しんすけ)さん。
「この製麺機も…」
麺づくりは、半世紀近く前の年季の入った、師匠も使っていた製麺機。
切るのも当時のようにすべて手作業にこだわりました。

ナルトやチャーシューといった具材も味が染みやすいようすべて細長くカットします。
しかし、当時のスープのレシピは細かく残っておらず、頼みの綱は人の記憶でした。

田内川真介さん:「現代のつけ麺のつくり方しかわからない。それを山本富治さんに監修してもらって。2年かかりました」
山ノ内町に住む88歳、山本富治(やまもと・とみじ)さん。
山岸さんのかつての同僚で、のちに都内の別の大勝軒で店長を務めていた山本さんは、70年を経た現在、当時の味を知る「生き字引」です。
山本富治さん:「すごいね。まさか志賀高原でやるとは思わなかった。ずっと続けてほしい」
山本さんと出会い、田内川さんは2年以上かけて準備を続け、当時のつけ麺=「復刻版もりそば」を完成させたのです。
田内川真介さん:「志賀高原でこれを出せるのは感無量。いろいろ大変だったけど開発してよかった」

6月15日まで山ノ内町の山の駅で期間限定で食べることができます。