そして投入されたのが「揺れる」電車特急「381系」だった!
背景がだいぶ見えてきました。新幹線時代に突入し、昭和40年代に伯備線は「少しでも速く」と力を入れていたわけなんですね。
そうしてまず投入されたのが、大出力エンジンを搭載した【画像⑰】のような気動車「キハ181系」と呼ばれるディーゼル特急でした。これに合わせて誕生したのが、特急「やくも」だったのです。

1972年の時刻表を見ると、その「特急やくも」の登場で、岡山~米子間は最速2時間30分台になっていました。なんと1時間半近く所要時間が短くなってるー!
でもまだまだァ!新幹線時代にそれでは遅ィィィ!じゃあこの区間に「山陰新幹線」を作ろうか...いやすぐには無理無理。。。
ならば「今ある軌道を活かして高速列車を走らせよう」ということになったようです。そこから10年かけて行ったのが、伯備線の「電化工事」と「カーブの改良」でした。


そして1982年についに伯備線の全線「電化」工事が完了。その鉄路を走る特急列車として、満を持して登場したのが、41年後の今もなお走り続けている電車特急・381系「やくも」【画像⑳ 右が381系 左はキハ181】だったのです。

すでに、名古屋と長野を結ぶ中央西線の特急「しなの」としてデビューしていた381系。RSK山陽放送の映像ライブラリーには、ついに岡山にやってきた381系の「試運転」「試乗会」を幾度となくニュースで取り上げていた痕跡がありました。


そして1982年7月1日に、晴れて電車特急「381系やくも」がデビューしました。この彗星の如き...いやレールを這う大蛇の如き特急により、岡山~米子間の所要時間も2時間10分台と、さらに20分近く短縮されたのです。
ついに実現した、山陰~山陽間でのさらなるスピードアップ!しかし...そのスピードと引き換えに手に入れてしまったのが、今も私たちを悩ませ続ける「やくもの乗り物酔い」だったのです。
デビューからわずか3か月、当時の弊社ニュースでは衝撃の企画が放送されていました。そのタイトルは「どうにかならぬか 揺れに酔うやくも」でした。

(後編につづく)