明暗が分かれる「桃太郎像」と「六高マン像」

(佐藤大祐記者リポート)「JR岡山駅前です。ここでは、路面電車の線路を伸ばし、このあたり(画像参照)に電停を作る事業を岡山市が進めています。事業の一環で、現在行われているのは、広場のリニューアル工事です」

「工事に伴い、桃太郎像は南側に数メートル動かすことが決まっていますが、一方で、『移設させる先が決まっていない像』があることをご存じでしょうか。それがこの六高マン像です」

下駄にマント、破れた帽子。岡山駅前の六高マン像です。

岡山駅前と言えば「桃太郎像」が有名です。実は「桃太郎像」と「六高マン像」で明暗分かれる事態が起きています。

「六高マン」とは何者か?そして「ナンバースクール」とは?

その前に「六高マン」とは何者か?「六高」とは岡山にかつて存在した学校の通称です。

訪ねたのは。岡山大学の名誉教授で、六高OBの松尾信彦さん(91)です。

(六高OB 松尾信彦さん)「六高は旧制第六高等学校といいましてね、明治時代に出来たんです。今、朝日高校になっているあの校舎ですわな、あそこへ第六高等学校が出来た。」

現在の岡山朝日高校の敷地にあり、のちに岡山大学に再編された六高。ナンバースクールと呼ばれる、明治政府が優秀な人材を育てるために作った8つの高校の一つで、名前の通り六番目に開校しました。ちなみに東北大学には「二高マン」像が、熊本大学には「五高マン」像が立っています。

当時の学生たちが好んだのが「下駄にマント、破れた帽子」といったいわゆるバンカラスタイルでした。

(故人・六高卒業生 元岡山県知事 長野士郎氏)「質素でハングリー教育ですよ、すべて」

卒業生には小説家の内田百閒や安倍晋三元総理の父・安倍晋太郎など錚々たる顔ぶれ。田中角栄元総理の秘書官だった小長啓一さん(92)もその1人です。

(六高OB 田中角栄元総理 秘書官 小長啓一さん)「六高は私、最後の一年しか行っていないんですけれども、中国地方から優秀な人材が集まってきているという学びの場だったものですから、知的刺激を毎日受けていた」

50年の歴史で1万2千人もの卒業生を送り出した六高です。JR岡山駅前の「六高マン像」は、その創立100周年の年に設置されました。しかし、今ピンチを迎えているのです。