未来への課題「永続化」と「世界遺産」
――邑久光明園と対岸を結ぶ「邑久長島大橋」は「人間回復の橋」と呼ばれています。この橋が持つ意味は大きいですね。
(屋会長)
「明治42年から79年間、私たちは社会と隔てられていました。あの橋がかかった時、外界と繋がったことで、視覚障害のある方や動けない方が本当に涙を流して喜んだと聞いています。自治会が17年間運動して、やっと実現したんです」
――入所者がいなくなった後、療養所をどうするのかという「永続化」の問題も重要です。
(屋会長)
「私たちは、各療養所を人権を学ぶ場所として残してほしいと国に伝えています。過去にどんな生活があったのか、皆さんが想像もできないような生活があったことを知ってもらうために。10月、厚労省と意見交換に行きます」
――その歴史的価値を伝えるためにも、ハンセン病療養所の世界遺産登録を目指す活動が進んでいますね。
(屋会長)
「はい。これは長島だけでなく、青森から沖縄まで全国13の療養所すべてを一つのものとして登録を目指すものです。我々が元気なうちに、国がこの永続化問題に責任を持つと明言してくれれば、県や市も動き出します。その答えを早く出してもらわなければなりません」
――亡くなった後、遺骨はどうされるおつもりですか。多くの方が家族の墓に入れず、園内の納骨堂に眠っていると聞きます。
(屋会長)
「弟は『兄貴が死んだら親の墓に入れる』と言ってくれています。ですが、こうして会長を務めている身で、家に持って帰れるかという思いもあります。
おそらく私は光明園の納骨堂に残るでしょう。今、3263柱が祀られていますが、我々がいなくなった後、国がどう維持管理してくれるのか。それをはっきりさせてもらわないと、安心して死ねません」