葬り去られた軍馬の歴史 軍の機密事項

(鏡野町教育委員会 日下隆春さん)
「例えば、『馬を午前4時に持ってきてください』【画像⑫】と書いてありますので、明け方のみんなが寝静まったころに持って行って、そこから馬を運んでいた。それを実際に見た人は少なかったんじゃないか」

【画像⑫】

馬に関わる情報は軍の機密事項として扱われていたため、人目を避けて徴発を行っていた可能性があるというのです。富村から徴発されたのは、少なくとも2頭。その行方は、今も分かっていません。

(鏡野町教育委員会 日下隆春さん)
「戦地で死んだ馬もいるし、引き上げる時に荷物になるから現地の人に売り渡して戻るということになっている。馬が持ち主のところに戻ってきたという例はほとんどないんじゃないかな」

鏡野町では、青紙のほか馬の調査記録や名簿など20点近くの史料が保管されています。日下さんは、こうした史料が現代まで残されてきた意味をいま、改めて考える必要があると話します。

【画像⑬】
【画像⑭】

(鏡野町教育委員会 日下隆春さん)
「本来はこういう戦時史料は終戦直後に焼却の命令が出ていますので、もう処分しているはずなんですよ。何らかの意図があって焼却せずに置いていたのではないかと。実際に戦争に使われた動物、馬もそうですが、そういう事実もみなさんに知ってもらう機会があれば」

戦争兵器として生まれ育てられた、馬。生活になくてはならない大切な家族だった、馬。言葉なく死んでいった60万頭にも思いを馳せたい、戦後80年です。