生活に欠かせないたいせつな馬も国家総動員法で

真庭市のすぐ隣。鏡野町の旧富村地区に住む、池田誠二さん【画像⑤】です。戦前から、自宅で一頭の馬を飼っていました。

【画像⑤】

(池田誠二さん(83))
「ここ【画像⑥】が馬小屋。桶を置いて、藁を切って粉粕をまぶして毎日あげていた」

【画像⑥】
【画像⑦】

代々、林業で生計を立てていたという池田家。馬は欠かせない存在でした。

(池田誠二さん(83))
「山で切った木を引っ張らせて、馬車で引くとか」

(平松咲季記者)
「何kgぐらい引っ張るんですか?」

(池田誠二さん(83))
「馬によっても違うけど、200kgや300kgは引っ張る」

当時、富村にいた馬は10頭ほど。各家庭で飼育され、家業に用いられていました。地域の人々にとって、馬は大切なパートナーだったのです。しかし…

「国家総動員上必要ナル船舶、航空機、車両、馬。其ノ他ノ輸送用物資ヲ総動員物資トスル」

【画像⑧】

1938年、戦争が長期化し多くの資源を必要としていた日本政府は、「国家総動員法」を制定。国民の生活の全てが国の統制下に置かれるようになりました。こうした環境の中、軍馬だけでなく、家庭で飼育されていた馬も次々と中国大陸や南太平洋といった戦地に動員されていったのです。誠二さんの家の馬は戦地に連れて行かれることはなかったといいます。さらに・・・。