エリート僧侶、重源が設けた「湯屋」現代のスチームサウナ
再建に携わった時、重源は61歳、中国への留学経験もあるエリート僧侶でした。1193年、重源は、備前国に赴き土地開発や建築資材の調達を始めたとされています。この国家プロジェクトを実現させたのが、重源が行った政策の1つ、「湯屋」の設置、今で言う「お風呂」を設けたことだと言われています。

(岡山市教育委員会文化財課 原田悠希さん)
「作業員さんやそういった方をねぎらったりとか、今のお風呂とは違うんですけども、(重源は)風呂の原型のようなものを各地に作っています」
6世紀半ばに仏教の伝来とともに中国から伝わってきたとされる「お風呂」。東区万富の東大寺瓦窯跡に近い保木地区には「風呂屋」という地名があり、当時、お風呂の施設とみられる石垣や井戸の跡が残されています。これらは重源が建てた「湯屋」ではないかと考えられています。

(岡山市教育委員会文化財課 原田悠希さん)
「当時の風呂はおそらく、今でいうサウナみたいなことを指して風呂だと思いますので、今でいう温泉とはちょっとイメージが異なるかな」
当時の湯屋は、水を沸騰させて発生した蒸気で体を温める現代でいう「スチームサウナ」でした。重源が岡山の地で作ったのは、そのスチームサウナだったと考えられています。重源が東大寺再建のために木材を調達した山口県では、重源が手がけた「湯屋」と「石風呂」が残っていて、今も入浴体験ができます。

万富地区から西に約15キロ岡山市中区湯迫です。重源はこの地区に滞在していた時、周辺に「湯屋」を建てていました。浄土寺には重源が建てた「湯屋」が残されています。
(浄土寺 枝川円陽名誉住職)
「重源上人は備前の国府で東大寺の受領を管轄する責務もあったので、国府と浄土寺と近いから、度々お参りにここに来られていた。その時に、ちょっと気になるところがあると言って、調べてみたら、冷泉ですけど温泉が湧き出たといういわれがある」
(岡山市教育委員会文化財課 原田悠希さん)
「こちらは大湯屋跡と言われていまして、実際に当時、重源が建てたとされる湯屋に使われた、水が湧き出るような場所になります。浄土寺の境内からは万富の方で実際に焼かれた瓦っていうのが見つかっていますので、しっかりとした繋がりが残っている、今でいうサウナみたいなものがあって、そこで疲れをいやしたりとかそういった福利厚生の施設があったと考えられます」











