乗り越えられなかった「青学陸上部」内での壁

(石鍋颯一さん)
「4年間着たユニフォームです」
「いい思い出もありますけど、悔いが残ったんで最後…」

中学・高校と陸上部で活躍し、駅伝を走りたいと青学の門を叩いた石鍋さん。しかし、全国のトップランナーが集まる中で、メンバー争いに苦しみました。

(石鍋颯一さん)
「試合とか練習とかみんなライバル」
「すごく激しい競争だった」

それでも、地道に練習を重ね5000メートルで14分8秒をマーク。青学では20番前後、中堅大学であれば箱根駅伝にも出られるレベルにまで成長しました。しかし、ラストチャンスとなる4年生の夏、アキレス腱を痛め、走ることができなくなりました。

(石鍋颯一さん)
「もちろん時間をかければ治るぐらいのけがではあったんですけど、4年目なんで時間がない。悩んでマネージャーになった」
「走ることを期待して、周囲は青学に送り出してくれていたんで」
「卒業前に走るのをやめる気後れがあった」

この冬、青学は箱根駅伝で優勝。しかし歓喜の瞬間、石鍋さんはマネージャーとして迎えました。

卒業後は歯科医である父親の後を継ぐため岡山大学歯学部へ。もう、走るつもりはありませんでした。