歴史的には「お年玉」=「いろいろ」?

「歴史学では、あくまで資料に基づいて論じます。室町~江戸時代にかけての記録には、すでに『お年玉』という言葉や、それに類する新年の贈り物のやり取りが確認できます。しかし、そこに『餅』が登場した例は、ほとんど見かけることはありません見当たりません」

――では誰に、何を贈っていた?

「記録に残っているのは、主に親しい間柄での物のやり取りです。お寺の記録などで『年玉として〇〇を持ってきた』といった形で使われていたことがありました」

「例えば、刀や扇、あるいは『馬代(うまだい)』といって、馬の代わりに金銭を贈るといった事例も確認できます」

つまり、歴史上の記録から見ると、お年玉は子どもへ渡すお小遣いではなく、大人同士の物のやり取りを指していたということ。

一方で、「馬代」のように実質的な金銭のやり取りや、明治時代には子どもがいる家庭に羽子板や凧を贈ったという資料もあり、「歴史学的には『お年玉の起源が何であったかは、わからない』というのが正直な結論」だといいます。