この瞬間、西島さんの選手人生が幕を閉じました。


西島 篤さん
「今までやれることはやってきたので、それで指名がなかったことは自分の実力不足だなというのがある。現時点では来年野球をするという選択肢はありません」

野球ひと筋だったこれまでの人生から「野球が消える」「未練はない」と言いながらも不安は拭えませんでした。
そうした中、一本の電話がかかります。
長崎国際大学
「大学野球部のコーチをお願いしたい」

長崎県にある母校の大学からの誘いでした。

現役選手としてのステージを降りることには迷いもありましたが、野球と関わっていけるという喜びがそこにはありました。

西島 篤さん
「自分が今までやってきた事を生かせるのは”コーチ”だったので、コーチとして
第2の人生を頑張っていこうと決めました」

『プロに絶対行く!!京と子どもに野球の姿を見せる!』と書いていたポスターをそっとはがしました・・・
そして、熊本を後にし、妻子が待つ長崎へ・・・