なぜ「袖」が見つかったのか…
改めて、松橋事件が起きてから40年間を振り返ります。

事件が起きたのは1985年で、宮田さんは男性の遺体が見つかって12日後に逮捕されました。その後裁判になり、宮田さんは無実を訴えましたが、懲役13年の刑が確定しました。
無罪に変わったポイントは?
裁判では物的証拠は少なく、宮田さんの自供の信用性がポイントでした。しかし1997年、宮田さんの服役中に、弁護団がその信用性を揺るがす証拠を発見します。
自白では「シャツの左袖の部分を割いて、凶器の小刀の柄の部分に巻いて被害者を刺し、その袖の部分は犯行後に燃やした」となっていました。
しかし弁護団は、熊本地検が保管していた証拠品から燃やされたはずの「袖の部分」を発見したのです。

「袖の部分」裁判でどんな意味を持った?
この袖は、宮田さんが起訴された後の家宅捜索で見つかりましたが、検察はこの証拠の存在を刑事裁判で明らかにしませんでした。
また、長時間の取り調べの影響で自白に導かれたとして、宮田さんの遺族側は「冤罪の背景には県警や検察による違法行為がある」と訴えてきました。
裁判所の判断は?
3月14日の判決で、熊本地裁は「自白と矛盾する証拠なのに袖の存在を裁判に明かさず、検察官としての注意義務を怠った」として、検察の違法性は認めました。
一方で警察の取り調べは「社会通念上、違法とまでは言えない」として、違法性は認めませんでした。

県警・地検の受け止めは?
この判決について県警は「主張が理解されたと認識している」、一方で熊本地検は「判決内容を検討して適切に対応したい」とコメントしています。