新聞や放送の記者が、自分や家族を取材の対象として取材する「一人称報道」というスタイルがある。長男が自閉症や知的障害などがある、RKB毎日放送の神戸金史解説委員長も、やまゆり園障害者殺傷事件の加害者に「私の子供も殺すのですか?」と質問を重ね、「セルフ・ドキュメンタリー」の番組を制作してきた。こうした“一人称の報道”の実例をRKBラジオ『田畑竜介 Grooooow Up』で伝えた。
◆自分自身を「取材対象」とする報道
新聞や放送の記者が、自分や家族を取材の対象として取材する、いわゆる「一人称報道」というスタイルがあります。私が、障害を持つ長男を取材した番組などもそれに該当します。
こうした1人称の報道をしてきた3人が集まって、それぞれどんなことを考えてきたかを報告する勉強会が9月21日、宮崎市で開かれました。「マスコミ倫理懇談会」全国大会の分科会で、私も発表したんですが、他の2人についてご紹介したいと思います。
※マスコミ倫理懇談会全国協議会 「マスコミ倫理の向上と言論・表現の自由の確保」を目的として、1955(昭和30)年3月に東京で創設され、各地の懇談会が全国協議会を結成した。現在は新聞、放送、出版、映画、レコード、広告など210の企業・団体が会員となり、秋には全国大会を開き、各地区では月例会や総会を開いて事例研究や情報交換を行っている。
宮崎で先週開かれた65回全国大会にはリアルで200人以上、オンラインも入れると300人が参加。「南海トラフ巨大地震への備えと報道」「南西諸島有事とメディア」「新たな人権報道への試み」など6つの分科会が設けられ、活発な議論が展開された。
◆「私は部落から逃げてきた」西日本新聞
西日本新聞社(本社・福岡市)社会部の西田昌矢記者は、いわゆる被差別部落に生まれ、なるべくそのことを考えないようにして生きていた。去年4月、『記者28歳 「私は部落から逃げてきた」』(全8回)という連載を書き、大きな反響を集めました。
連載の中では、小学生の時に友達のお祖母さんから「部落の子なのに賢いね」と言われ大きなショックを受けたこと、自分の出自から逃げることばかりを考えていた青春時代のこと。社内研修では「部落問題って知っとるか」と上司から問われ、とっさに「単に地区って意味じゃないんですね」ととぼけたことがあることなどが赤裸々に書かれていました。
◆「安全地帯から出て書いてみたい」
西日本新聞は人権について非常に取り組みが深い会社です。2022年は、全国水平社の設立100年に当たる年でした。その4年前に、すでに社内で準備が始まっていたそうです。
「4年後にどの部署にいても、なにかやったらどうか」という話が出て、西田記者は「やりたいです。実は部落の出身なので」とポロっと言ったのだそうです。「じゃ君の話で書いてみたらどうか」ということになり、それから4年間をかけて考えてきた、とおっしゃっていました。
長崎での勤務で、被爆者が自分の被爆体験を語っているのを聞く時に、「部落出身の自分は、部落のことを語っていないのではないか」ということも考えるようになっています。それを、西田さんは「安全地帯」と表現しています。
西田昌矢さん:安全地帯にいることにすごく後ろめたさを感じていたのですが、4年間の間に「安全地帯から出て書いてみたい」「被爆者と同じ目線で自分の名前を出して記事を書きたい」という思いが強かったです。4年間という時間があったから、そう思えたのではないかなと思います。
どうしたらいいかじっくり考える一定の時間が持てた、ということなんだろうなと報告を聞いて考えていました。2023年4月には「記者29歳 続「私は部落から逃げてきた」』という連載も書いています。







