過去に言われた言葉 つらい記憶 怒りが悲しみに変わった瞬間

母親
「最近心菜の体が大きくなってきて、盆や正月に親族に会いに行った時、『大きくなったね』という言葉をかけてほしかったのに、心菜を見るなりため息をついて『これからどうしていくのか』と言われました。
その場では『大丈夫よ』と気丈に振る舞って『手伝ってもらっているから』と言いました」
母親
「(親族から)『これ言ったら怒ると思うけど』と言って心菜のことを心臓がえぐられるようなことを言われたりしたのを思いだして、なんで心菜は病気で頑張っているのに、ただそれを私なりに頑張って育てているのに、なんで身内はこんなこと言うんだろうと。
身内にとって心菜はいらないのかと、暗いトンネルに落ちていくような気持ち。
心菜はいらないんだ。
心菜がいないなら私も生きる意味がないと思って、一緒に死のうと自殺を検索するようになりました」
この時の母親の心境を、弁護人は法廷でこう代弁している。
弁護士
「夫は、普段、娘の世話にとても協力的だったということですから、1月3日の夫の言動は、端から見れば、年末年始の疲れもあったであろう夫が、昼寝から起こされた際の強い眠気のために、ついイライラして発してしまったものだったのだろうと受け止めることができます。
しかし、このときの夫の態度は、被告人にとっては、およそ許し難いもので、被告人の心に大きな傷を与えました。
なぜなら、被告人夫婦は、これまで娘のことに関してだけは、夫婦で考え方や価値観が異なったことが一度もなく、被告人は、自分と同様、夫だけは、どんなことがあっても娘のことを優先してくれる存在だと信じていたからです。
唯一の理解者であると信じていた夫への信頼が揺らぎ、被告人は、それまでにない深い孤独に陥ったのです。
(親族の)発言は、重度障害を持つ心菜ちゃんのことを理解することができない、心から受け入れることができないという気持ちの表れと考えられます。
被告人は、社会には依然として障害者に対する差別や偏見があり、身内であってもそれは例外ではないということを頭では理解していました。
同様に、(親族の『これからどうしていくのか』という)言動は、介護に奮闘している苦労を思ってのものであると理解していました。
しかし、親族から発せられる心菜ちゃんに対する言動は、被告人には、心菜ちゃんの存在を否定し、また、時には、母親である自分を責めるものであるようにも聞こえ、その都度、深く傷ついていました。
そのような心の傷は、毎日の忙しさの中で心の奥深くにしまい込まれていましたが、事件当時は、夫の思いがけない言葉がきっかけとなって、過去に受けたたくさんの心の傷が次々にぱっくりと開いてしまい、それまで蓋をしていた悲しみや怒りの気持ちが止まらなくなってしまったのです」