求菩提山(くぼてさん)は福岡県豊前市にある山。多くの人々の信仰を集めてきたが、国家の神道化を進める明治新政府により、1000年の伝統を持つ修験道は排除された。わずかに修験道文化の匂いを残す「お田植祭」の様子を、RKB神戸金史解説委員長が取材し、4月1日のRKBラジオ『田畑竜介 Grooooow Up』で伝えた。

豊前修験道の求菩提山

福岡県豊前市にある求菩提山(標高782メートル)。明治維新以前は修験道が非常に盛んでした。山の中には山伏(やまぶし)と呼ばれる宗教者が住み、多くの人々が信仰していました。かつては、同じ豊前国にある英彦山(ひこさん、1199メートル)と並び、豊前修験道の中心地でした。

その求菩提山で、旧豊前国に春を告げる「お田植祭」が3月29日(土)に執り行われました。春に田んぼのあぜを作り、秋の豊かな収穫に感謝するまでの一連の所作を演じ、あらかじめ秋の五穀豊穣を願う、福岡県指定の無形民俗文化財です。

恒遠俊輔さん

修験道に詳しい豊前市の恒遠俊輔さんに案内してもらいました。

神戸:「お田植祭」は、昔からの伝統行事なんですか。

恒遠:衣装箱のふたが残っています。それには建暦3年(西暦1212年)と書いてあり、鎌倉時代には行われていたことが、衣装箱のふたの墨書から証明できます。

神戸:杉林ですね。

恒遠:ここが、「構(かまい)の石門」です。山伏の集落への入口です。

山伏が住んだ求菩提山へ

深い森の先にある霊場

狭い道を車で進んでいきました。山伏が住んだ家は「坊」と呼ばれ、求菩提山の中には200の坊があったと見られています。車を駐車場に止めてから、石段が始まります。

神戸:これは、すごい石段ですね。苔むしています。

恒遠:山伏の家が今、2軒残っています。これは「岩屋坊」で、今修復工事をしています。

神戸:坊が残っているんですか!いつごろの建物なんでしょうか。

恒遠:江戸時代末期ですね。

神戸:当然、「廃仏毀釈」以前ですね。

恒遠:はい。

仏は、日本古来の神と同じと見なされるようになりました。長い間、日本では仏教と神道が混ざり合った状態が続いていました。「神仏習合」と言います。明治になり、近代天皇制となると、神道から仏教が排除されました。狂信的な人々は、神社にある仏像の首を切り落とすなどしました(廃仏毀釈)。求菩提山護国寺からは、まさに神仏習合であった山伏が排除されてしまい、今は国玉神社となりました。私は、「日本の伝統」と言うならば、純粋さを求めて他を排除する近代天皇制ではなく、その前に1000年も続いた神仏習合の時代にこそ伝統を感じます。