岡田中将を支えた若き参謀
戦犯裁判で岡田中将を支えていたのが、若き参謀、保田直文少佐だった。

保田直文少佐の長女、村田佳代子さん。1946年8月からスガモプリズンに収監されていた父のもとへ、佳代子さんは母と一緒に面会に通った。面会した時のことを今もよく憶えているという。
村田佳代子さん(80)「もうそりゃ克明にありますよ。忘れもしないね、この洋服を着てね、父の面会に行ってるの。この洋服なの。だからここから大体2ヶ月に一度ずつ父のところに私だけ行ったんだなって。思い出しましたけどね。」

佳代子さんは3歳くらいから、5年ほど面会に通ったことになる。成人して洋画家になった佳代子さんは、父との思い出を絵に描いた。
村田佳代子さん「ここが面会室なんですけど、金網に指を突っ込んでいくと、うまくいくと父の手と合うんですね、そこで手でしゃべってたって感じで。父は割と声が低くてね、物静かなの。あんまり慌てたり、早口になったりとかそういうことがなくて、淡々と話す人だった」
妻子の元へ帰って来なかった父

絵の中に父の顔は描かれていない。シルエットになっている。それには理由があった。1952年のサンフランシスコ平和条約発効後、出所したはずの父は、妻子が待つ東京の家には帰ってこなかった。父は病死したと聞かされていたが、ある時アルバムを見ると、母は、父の写真をすべて捨てていた。
村田佳代子さん「不思議なのがね、お食い初めの写真は確か父と母と私だったの。その1枚がアルバムから剥ぎ取られてるの。だから、すごくそこがね、母の思いがどうだったかって思っちゃうんですけどね」







